笑って介護日記2

No.148 元旦にビックリの巻

<えっ!なんでもう食べてはるん?
 新年の挨拶、まだでしょう?>

2014年元旦の朝のこと、

台所でお雑煮の用意をしていて、
ふとダイニングに戻ってきたら、

あろうことか、父がすでに
お節の重箱をあけて、ひとりで
さっさと、お節料理を食べ始めています。

まったく、もう。。。

というか、まず、そのお節なのですが、
高齢者のみ世帯のため、
もう、誰もが、いつなんどき、
<最後のお正月>となるやわからへん、
ということで、

今年は、うんと奮発して、
京都の老舗料亭のお節料理を
頼んでみることにしました。

伊勢丹のパンフレットを見て
どこのお節にしようかとあれこれ
眺めていたところ、

世に知れたる最高級老舗料亭やのに、
この価格、しかも、何段もあるし、
これって、とってもリーズナブルやない?

と、思いのほか、高くなかったことに
大喜びして、〇兆さんのお節に、決定!!

大晦日の午後に、配達されるとのことで、
ワクワクしながら、到着を待っていたのですが、

いざ、宅急便のお兄さんのピンポンが鳴り、
<〇〇さ~~ん、お節料理のお届けです~!>
の声に、玄関に出てみたところ。。。

うん?。。。これが。。その。。お節??!

お兄さんの手にしている真四角の箱は、
あまりにも、可愛らしく(笑)

これでは、まるで、お雛さんのお飾りに
ようある金平糖の入ってる、あの重箱のよう。。。
ツー、マッチ、コンパクト!!!なのです。

たしかに、
伊勢丹のパンフレットに載っている写真は、
こう、ぐ~~~っと、重箱に寄って撮られていて、
他に大きさを比べられるようなものがなかったさかい

お節といえば。。。ふつう、ようある、あの、
お節料理のときに使われる、あの大きさの重箱を
思い浮かべていたのは、こちらの勝手といえば
勝手なのですが。(笑)

ということで、

その、あまりに可愛らしい重箱のお節料理
の数々を、ひとりで、どんどん食べてはる
年があらたまっても、まったく
変わることのない、自己チューな父を

<ストップ!!!やめて!!!中断!!
 挨拶が、先!!!!>

と手で制しながら、みなで斉唱すべく、

<ほれ、言いなはれ!!
 あけまして、おめでとうございます!!!
 今年も、どうぞ。。。>

と、決まり文句を、言いかけたところ、

隣にいた母が、ほんまに、ちいさい、
蚊の鳴くような、よう耳を澄ましてんと
聞き逃してしまうような、ささやき声で、

<お世話に、なります。>

と、口にしたので、もう、ビックリ!!!

というのは、
ひとさんに自慢するようなことでもないのですが、

母というひとは、とにかく、ありがとう!と
家族には、というか、私には、
まったく言わないのです。

もう10年以上も、朝な夕なに
お世話さしてもろてますけど、
とにかく、感謝の気持ちを表すような言葉は、
ほとんどと言っていいほど、聞いた記憶がありません。

いちど、あんまりやと思って、

<ウソでええし、ココロになくてもええし、
 ちょっと、ありがとう、って、言うてみて>

と頼んでみたところ、

<いや!そんなこと、死んでも、言いまへん!>

とのご返事でした。(笑)

そやから、元旦の朝の、この
母の<お世話になります>発言には、
ほんまに、驚きました。

あ~、残念! 前もってわかってたら、
絶対、録音しておいたのに!!!
と思っても、後の祭りです。(笑)

が、しかし、消え入るような声やったけれど、
<お世話になります>との声は、
しっかり、私のなかに、残りましたので、

いつか、これが、
<お世話になりました>になる日まで、
なんとか、お世話させてもらいます。

それにしても。。。

人間の気持ちいうもんは、不思議なもんです。

あれだけ、一度でええさかい、
母の口から、感謝の言葉を聞きたい!!

と、思てたはずやのに、

いざ、<お世話になります>などと
ちょこんと小さい頭を下げて言われたりすると、

そんなこと、ええんです!
言うてもらわんでも、わかってます。
ちゃんと、さしてもらいます。

そんなふうに、思えてくるのは、
なんでなんでしょうね~(*^_^*)

No.147 <クリぼっち>とはなんぞや、の巻

イヴの夜に、友達から聞いた話によれば、

クリスマスをひとりで過ごすひとのことを
<クリぼっち>と、そう呼ぶそうな。

まさにその<クリぼっち>ののところに(笑)
思いがけず、親戚の叔母さんから、イヴの夜
小包が届きました。

来年のカレンダーを送ったお礼にと、
手編みのマフラーやなんかが入っていました。

思いもかけへん贈り物、いうのは、
いつでも、ほんまに、嬉しいもんで、

ありがとうね~!

と、最初は、はしゃいで御礼を言うてたんが、

いつのまにやら、
近況報告が、愚痴へと変わってしもて、

なまじ、叔母さんだけに、家族の性格やら
我が家のもつ特殊事情やら、いちいち
説明せんでも、わかってもらえるだけに、

気がつけば、こ1時間あまりも、

なんでわからへんのかなぁ~、とか
なにを考えてるんやろなぁ~、とか
なんにも、考えてへんのやろうなぁ~、とか

次から次へと、愚痴の嵐で(笑)

まるで、
いつも通うてる、お医者さんの待合室で、
お嫁さんの悪口あれこれ言うてはる、
おばあちゃん、状態で(笑)

いつも、それを聞きながら、
 お嫁さんにかって、きっと
 言い分はあるやろになぁ~と
思っていることを、思い出し、

ハッ!と反省したときには、

もうすでに、1時間が経っており、
謝りたおして、電話を切ったものの。。

ハァ~と、電話をきったあとで
どっと押し寄せるのは、いつもの自己嫌悪の嵐。

  しんどいとき、とにかく、だれかに
  聴いてもろたら、それだけで楽になります。

って、よう言わはるように、実際、ひとに話すことで
楽になる、いうことも、たしかにあるんやけど、

あらかじめ相談する、いうんやのうて昨日のように
思いがけず、あれこれ説明せんでも、うちの内情を
知ってもろてて聴いてもらえる、というような
絶好の機会(?)を得たようなときには

抑制もきかんままに、
どっと、心の奥のほうに、おいといた想いが
今とばかりに、雨の後の洪水のようにあふれ出して

言うたあとで、いつも、必ず自己嫌悪に陥る、のは、

自分の口から出た言葉を、自分の二つの耳が
聞いてしまう、からかもしれへんなぁ~と
思うたりもします。

自分の口から出た言葉を、あとで思い返すと、
ハァ~。。。と、自分ながら、ため息ものです。

とはいえ、

言葉いうのは、そういう
ひとを落ち込ませる役目だけやのうて、
ときに、大いなる励みをもたらしてくれることもあり、

今年一年間に、よ~う、思い出してた2つの言葉、
<自分をなんとか、嫌いにならんですむように>と
最後のとこで、踏ん張らせてくれた言葉、があります。

ひとつは、アメリカインデアンの言葉で、

  どれだけさがしても、
  感謝する理由が相手に見つからなければ、
  落ち度は、自分のなかにある。

もうひとつは、椎名なんとかさんの刑事ドラマ
のなかで言うてはった言葉やと思うんですが、

  誰かを大切にする、ということは、
  そのひとが、大切に思っているもの、を
  同じように大切にしてあげる、ということ。
  
この2つの言葉があったおかげで、

できるだけ、介護から離れようとする家族を、
なんとか恨まんと、責めんとすんだり、

母の介護に無関心で世間体ばかり考えている
父の世話をする意味に、悩まずにやってこれました。
 
いい出会い、いうのは、
ひとに出会う、いうこともあるけれど、

ええ言葉に出遭うことで
介護が、うんと、楽になる、いうこともありかと。(*^_^*)

No.146 ケ・セラ・セラ♪

今日、母の部屋で掃除機をかけていたら、
なんの番組やったかわからへんのやけど、
久しぶりに、<ケ・セラ・セラ>という曲の
楽しいメロディーが流れてきました。

ケ~セラ~セラ~、なるよ~に~なる~♪
さきのこと~など~わから~ない~♪

という、あの名曲です。

なんでか自然に口ずさみたくなるような曲やさかい、
つい、掃除機をかけながら、

ケ~セラ~セラ~、なるよ~に~なる~♪

と、いつのまにやら、自分も唄うてました。

ほんまの話、

介護してると、その日その日、
お世話せんとあかんこと、
気を配っとかんとあかんことが
ぎょうさんあって、

そのうえひとり介護となると、まぁ、

風邪で水洟がかんでもかんでも出てきていようと、
寒うなってお決まりに出てくる腰痛がひどかろうと、

なんや、かんやとせんならん、

それがしんどい、いうのもあるんやけど。。。

もひとつ、<先が見えヘン>しんどさ、いうのも、
介護のしんどさには、あると思います。

母のこの先も見えへん、
見えへんさかい、自分自身のこの先も、見えヘン。

いったい、いつまで、これ、続くんやろか、
それがわからへんところが、
なんとも、しんどかったりします。

介護は続く~よ~、ど~こまでも~♪ です。(笑)

けど、人間、あと何分、言われたら頑張れても、
いつまでせんとあかんかわからんのに、ずっと
逆立ちしてるのは、しんどい、もんです。

ほんで、また、かかりつけの先生まで、

 心臓と内臓はしっかりしたはるさかい、
 結構、先は長いで!

と、またそんなこと言うてくれはったりするし(笑)

そやけど、ほんま、歌やないけど、
先のことは、誰にもわからへん、

あの、ハリーポッターのなかで、森の番人
ハズリットはんも、

帰郷するハリーが、
ホグワーツを出る汽車に乗り込む際に、
これから何が起こるか考えて、
不安でたまらんようになったとき、
ハリーに言うてはりました。

<ハリ~、来るもんは、来る!
 来たときに立ち向かえばええ!>と。

そや!そや! ほんまにその通りや!
先のことは、誰にもわからへんのやから、
そのときになってから、考えたらええんや!
あれこれ勝手に考えて心配しても、しゃ~ない!!


あらためて思いながら、ケ・セラ・セラ~と
掃除機をかけていると、

ベッドに横になって、毎日の自主トレメニューその1
右手で左手を押す、の巻に励んでいた母が、

あろうことか、私の鼻歌にあわせて、

<なるよ~に~なる~♪
 さきのこと~は、わからへ~ん!>と

唄い始めはったのを聴いてしもた瞬間。。。

ちがう!!! それは、ちがいまっしゃろ!!
お母さん!!

わたしが歌うのはええ、けど、
お母さんが歌うのは、アカン!!!!

なるよう~に、なってるんと、違います!

なるように、わたしが、してますのや!
結構、しんどおっせ!
無理もしてまっせ!!
我慢も、辛抱も、してまっせ!

間違うても、なるよ~に、勝手になってるわけや
ありませんで!!

そこは、どうか、お間違いなく!

そもそも、あんたはんと相方はんが、
どの子にも、<親とはなんぞや!>
<親孝行いうのは、いかなるもんか!>
いうのを、ちゃんと教育しとかへんかったさかい
今、わたしが、えらい目におうてますのや。

っていうか、その歌、歌わんといて!

かわりに、

 お世話~に、なりました~!

いう、昔の歌も、ありますけど、
こっち、歌わはらしまへんか?(*^_^*)

No.145 介護は、<お皿回し>の巻

朝、お日さんが昇ってきて、
なにごとものう、無事に一日が終わる。。。

いうのは、決して、あたりまえのことやのうて、

怪我せんように、ちゃんとご飯を食べられるように、
清潔なもんを身に着けておられるように、

風邪ひかへんように、暖かくして過ごせるように、
加湿器の水が、すっかりのうならへんように、

誰かが、ずっ~~~と目を、気を、配っているさかい、です。

美味しいレストランへ行って、
座ったら、美味しいもんがササッと出てくるんは、
厨房で、汗水たらして、走り回ってはるひとが
あるさかい、です。

一年のうち、たまに来るだけのお客さんは、
厨房が、どうなってるかやなんて、考えたりせえへんで、

 お母さん、心配してたけど、元気そうにしてるやん!

と、驚きのあまり、ひっくり返りそうなことを
のたまわれますけど(笑)

兄弟姉妹は、お客さんやあらへんのやから、

厨房のバタバタが聞こえへん、怒声の聞こえてきいひん
眺めのええ席にいて、美味しいもん食べて、
また来るね!とか言うて、帰るんやのうて、

エプロン持ってきて、
なんか、出来ることありませんか?と
厨房に入って、手伝うても、罰はあたらず。(笑)

よしんば、

エプロン持ってくるとこまで、気がつかへんでも、
目の前の美味しいもんが、どうやって出てきたんか、
想像してみることぐらいは、

いっぺんでも、おうちにお客さんを迎えたことが
あったら、難しいことやないでしょう。

ほんなら、どこぞのデリにでも、あるいは
(回ってヘンほうがよろしいけど)お寿司屋さんにて、

パーティセットとか、あるいは寿司桶<松>でも、
抱えて、やって来てもろたら、どないに嬉しい
ことでありましょう!

あるいは、ちょうど着いた頃をめがけて、
ピザのお兄さんが来やはっても、よろしおす。(笑)

などと、好き勝手なことを言うてますけど。。。

世の中のたいへんなことは、みんなそうやけど、
介護も、いうたら、<お皿回し>みたいなもんや
ないかと、最近になって思います。

お皿は、ずっと、同じ場所で、安定して
回り続けてて、変わりがあらへんように、見えるけれど、

それは、一時も休まんと、どんなに、だるうなっても
お皿を回し続けている、手が、あるからです。

お皿回しを見て、お皿だけを見ていたら、
ほんまのことは、大事なことは、なんにも見えません。

家族を、親を、兄弟姉妹に看てもろてるひとは、
レストランの厨房がどうなってるんか、
皿回しの手が、だるうて、痺れてきてへんか、
ちょっ~~~と、気にしてもらえたら嬉しおす。

今年は、大晦日になったら、うちの玄関に、

 <一泊二食付、1万円。
  布団片付けて、掃除して、帰ったら1割引>って、

 紙にかいて貼っといたら、どないだっしゃろ。

とつぶやいてみたら、母に

 またそんなこと言うて。。。
 あんさんは、ひとでなし、どすか?!

と叱られました。(笑)

 なんでや!! 
 ひとでなしって。。。誰のこと??!

私は、厨房走り回って、お皿も回してまっせ!(*^_^*)

No.144 今日は13日の金曜日の巻

今日は、13日の金曜日、

 ほれ、さっさとせえへんと、
 ジェイソンさんが、きゃはりまっせ!!

と、朝からいささか、母親を急かせて
朝のお世話をすませ、

 そやから、どこのジェイさんどすて?

と尋ねる母の大声を後にして、

ものすごう久しぶりに、百貨店なるところへ
出かけてきました。

というのも。。

年末には、この1年たいそうお世話になった
訪問介護の看護師さんやスタッフさんに
1年のお礼の気持ちをこめて、ささやかなものですが、
お渡しするものを、買いにいくのが恒例になっていて、

今年は最後に来てくれはるのが、クリスマスの前後、
ということで、クリスマスプレゼントも兼ねつつ。。。

どれにしよ。。。どの色がお好きなんやろう。。
去年、どんなんにしたやろ。。
あ~、もうどうでもええわ!

と、あれでもないこれでもない、
と品定めをしているうちに、
ふつふつと胸の中に沸いてきた思い、いうのが。。

 そうやん! 誰がなんて言わはろうと、
 今年一年、私はよ~~~~~う頑張ってきた!
 
 耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、
 欲しいもんも我慢して、ひたすら介護第一で、
 色々あったにせよ、なんとかここまで1年、
 やってきた、

 そやから、ひとのもんだけやのうて、
 うんと頑張ってきた自分にも、なんか、
 クリスマスプレゼントのひとつぐらい買うても、

 神さんかて、罰あてたりしゃはらへん、
 のやなかろうか!

ということで、ハンカチ売り場の隣にあった、
お気に入りの五本指靴下のコーナーへそそくさと移動。

たかが靴下と、お思いでしょうが、
この五本指靴下、心地よいこと、この上なし!!
なのです。

たしかに、少し値ははりますが、そこはそれ、
この1年の私の働き、ヘルパーさんに来てもろたとして
計算してみるなら、結構な金額に、なりまっせ!

それを思うたら、福助の五本指靴下の1足や2足や、3足。。

と、思いながら、ふと隣のやや短めの靴下に
目をやってみると、なんと、

五本指靴下の変則バージョン!!
つま先がなく、しかも、足のちょうど真ん中あたりで
すっぱりと切れていて、足の半分ぐらいだけを覆う、
五本指靴下が!!

そう、母は、酷~~い巻き爪のせいで、
ふつうのホームカバーも、かかとをしっかりはくと
つま先が痛むといって、いつも蹴散らしてしまうのでした。

しかし、この五本指靴下であれば、巻き爪のひとでも
はけます!!

いやはや、この出逢い(?)は、偶然ではなく、
絶対に、必然!!!、と、ハンカチと靴下を持って、
いそいそとレジへ並び。。。

そのまま、大発~~見!!!と、
なんだか得したような心持ちで、帰途についたのでした。

そして、帰宅するやいなや、母に、

  足を出してみなはれ、ほれ!

と、靴下をはかせてみると、
思ったとおり、巻き爪でも、全然オッケー!!!

ということで、大喜びしているときに、
ふと、気がつきました。

私の。。私へのクリスマスプレゼントは。。
私へのクリスマスプレゼントを買おうとして
福助さんのところへ、行ったところで、
これを見つけて。。。そのままレジへ。。。

それっきり。。。あ~あ。。そやけど。。。

誰がなんて言わはっても、
今年一年、私はよ~~~う頑張ってきた、

そやから、頑張ったことのご褒美を、
なんか、ひとつ、あげようと、思います。

この先、<鬼>になりそうになった瞬間にも
ご褒美のことを考えたら、思わずニンマリ
してしまうような、

高いもんは買われへんけど、ささやかでも、
頑張ったで賞を、あげても罰はあたらへんやろ。。

と、考えていると、母が、

 ジェイさんは、きゃはらへんかったえ、と。(笑)

お母さん、ジェイソンは、もうきゃはらへん、
明日は大石内蔵助さんが、きゃはるんどす。(*^_^*)

No.143 <ぽっくり>もありということで。

 きっと、マザーテレサさんかて、
 暴れまくらはると思うわ。。。

こっちのことなどおかまいなしの
あまりの、母のわがままぶり、に加えて、

看護師さんやらリハの先生やらの前での
あまりの、<猫かぶり>ぶりに

今日もまた、

 あほらしいて、やってられへんなぁ。。。

と、ばかうけのおかきを、
馬鹿食いしているところへ

年末恒例の、近所の神社さんから回ってくる
御祓い人形、がやってきました。

人形いうても、紙で、人形のかたちが作ってあって、
そこへ、お正月を迎えるにあたって、
御祓いしてほしい家族の名前と、年齢と、

例によって、叶えてほしい、

家内安全やら、無病息災、良縁成就といった
四文字熟語(?)を書いて、

封筒に入れて、御祓い料金(?)を気持ちだけ
入れて、神主さんへお渡しするもん、なんです。

昨年の今頃、
この御祓い人形が、お町内から配られたときに
ふと、お決まりの四文字やのうても、なんでも、
自分が、叶えてほしいことを書いたらええんや
ないかと思うて、

空いてる場所に、<ぽっくり>と書いてみてはどうかと
母にたずねてみたところ、

  家内安全、とか決まったことしか、アカン。

と即答で、ダメだしを受けました。が、そこはそれ、

<ぽっくり>も四文字やから大丈夫!と粘り、

  そんなもん書いといたら、近所の笑いモンになる。

との再度のダメだしにも、

今は、お国の個人情報保護法があるさかい、
書いても、近所のひとには、情報は漏れへん
ことになっています。さらに、

草書のくずした字で書いたら、
みんな読まれヘンから、わからヘン、これは、
神さんだけに、わかったらええことなんやし、
それでええんです。

と、あれやこれやの説得で、押し切り、

ただ、また面倒やさかい、お父さんには、
このことは黙っときなはれ。

そう言いながら、

おもむろに、年賀状用に買うておいた、
新品の呉たけの筆ペンを、目の前で
ピッピッと振ってみせ、

そう言われても、なんやまだ納得いかへん、
いう顔の母を横目で見ながら、

サササッ!と、
母、父、自分の、三人の御祓い人形の紙の
(さすがに、隅っこ、の一行空けといたスペースへ)
流れるような字で、ぽっくり、と書き上げて、
思わず小さく、ガッツポーズ!(笑)

母の分も、父の分も、そして自分の分も
ちゃんと、神さんに、頼んどきましたし、
ご安心あれ!

などと、書いていたのを、思い出しました。

しかし、こんなことを言うてる一方で、

3年ほど前のことやったか、母が肩を骨折して、
入院したときのこと。

無理してポータブルトイレをしようとして
ひっくりかえって、頭から床にすってんころりん、
したと、仕事場に病院から連絡があったときには、

病院へ向かって、全速力でチャリンコをこぎながら、

 神様、寝たきりでも、意識がのうても、
 なんでもええさかい、
 まだ、そっちへは、連れていかんといて!!
 頼みます!

と、ひたすら願いながらペダルを漕いでいた、
あのときの自分の気持ちは、心からのもんで、
そのことは、今もちゃんと覚えていたりもして。。。

人間、自分のほんまの気持ち、いうもんは、
自分でも、ほんまのところは、
ようわからへん、もんです。(笑)

そやけど。。。

去年の今頃、この御祓い人形withぽっくり、を
確かに神主さんに、お渡ししてきたのに、

今年もまた、おんなじように、三人分、
これを書いてる、いうことは、すなわち、

こうしてお願いしても、ご利益(?)が
あらへんかった、いうことの証、なわけで(笑)

そう思うと、
まぁ、書いてもしゃ~ない気もしますけど

ちょうど一行ほど、隅っこが空いたんで、
ことしもまぁ、ササッ~とわからんように、
三人分書いておくことにします。

お母さん、そう心配せんでも、よろし。
世の中には、ぽっくり寺、いうお寺が
あるくらいやさかい、
御祓い人形に書いてあるのを見はっても、
神主さんも、きっと怒ってはらへんと思うし。

そやけど、ただ、

<ヘンなうち>やとは。。。
思われてるやろね。(*^_^*)

No.142 <鬼>になりそうなときは、の巻

自慢やないけれど、
わたしの<堪忍ぶくろ>は、
とても、とても小さいので、
しょっちゅう、緒が切れます。

<まさかこんなことで。。。>と
ひとさんが見はったら、
あきれはるようなことでも、
あっ!という間に、切れることも、
あります。(笑)

そんなわたしが、自宅で12年もひとりで介護を
続けていたら、そらもう、自分のなかの<鬼>
さんが顔をのぞかせることも、
しょっちゅうあることで、

半世紀近う、生きてきたんやけれど、
ほんまに自分がどういう人間なんか、
もっとはっきり言うと、

  どれほど弱い人間であるか

いうことを、
親を看ることで、初めて、自分に
突きつけられた、ように思います。

なわけで、なんとしても
この<鬼>をひっこめんと、アカン。。

私の部屋を入って、すぐ目につく本棚の写真立てに
若い頃、撮った、母の写真を一枚、飾っています。

私の顔を見ると、まるで親の敵であるかのように
(というか、まさに、親の敵、
 なんでしょうね、今は(笑))

文句を言うたり、気に入らんことがあるとみんな
わたしのせいにして、ウソなんかも平気でしら~
~っとついたりする、今の母やのうて、

もっと前の、ほんまに優しそうな笑顔で笑っている、
ほんまにおんなじひとやろか。。と思うような(笑)

そんな写真をアルバムのなかから、はがしてきて、
笑顔だけを拡大して、写真立てに入れて置いてます。

やってられへんは、もう!!と怒りにまかせて、
階段をドン!ドン!とわざと音を立てながら
二階にある自分の部屋へ上がってくるようなとき、

まさに、自分のなかの<鬼>さんが
顔を出しそうなとき、
部屋に入ったら、すぐ目につくこの写真を、
しばし止まって眺めます。

 こんなときも、あったんやなぁ~ 
 昔は、ほんまに優しいお母さんやったなぁ~
 このひとがいいひんかったら、
 生まれてこれへんかった。

こちらを向いた、満面の笑顔の母を見ながら、
昔の優しかったあれこれのことを思い出したり、
感謝せんならんことを思い出したりしながら、
自分のなかの<鬼>さんに、
ひっこんでもらいます。(笑)

これは、ほんのひとつの手やけれど、

こんなふうに、

自分のなかの<鬼>さんに
ひっこんでもらえるような
自分だけのメニューをたくさん考えておくことが、

介護しててしんどいときに、ギリギリのところで、
自分を救ってくれるんやないかと、思たりします。

それこそ、このメニューは、ひとの数だけあって
なんでもようて、

私の場合は、ほんまに限界やなぁ~と思うたら、

 近くのスタバに行って、
 生クリームたっぷりのキャラメルマキアート!
 バナナケーキも添えて。

 楽天広場で、ひとつだけ、欲しいもんを買う。

 友達に電話して、なんでもない話で盛り上がる。

 ケアマネさんや訪問介護のスタッフさんに愚痴る。

 いつもは高いし買えへんケーキ屋さんで、
 ケーキを買う

今すぐいうて、思いつくのは、このくらいやけれど、
とにかく、あの手この手を使うて、なんとか
<鬼>さんにひっこんでもらおう、とします。

ただ、残念ながら、

いつもいつも、それでうまいこと怒りが収まる。
というわけもなく、

それでも、ダメで、とうとう<鬼>に
変身(?)してしまったときには。。。

 鬼は、日をまたぐことができひん、
 日付が変わったら、消え去っていくもの、

として

寝たら、次の朝には、忘れてしまう、
ことにしています。

自宅での介護をめぐっての、
悲しい事件が、後をたちません。

そんなニュースを見るたびに、思うことやけど

自宅介護している私たちいうのは、
<狭うて、長う続く、塀の上を、
 ひとりで歩いている>
ような、そんな、気がします。

バランスを崩して、あっち側に落ちてしもたら、
悲しい事件を、起こしてしまう、

うまいこと、バランスをとりながら、
塀の終わりまで歩き続けることができて、
こっち側へと降りられたら、
<介護を卒業>できる。

あっち側に落ちる人間と、こっち側に降りる人間と
そこには、なにも大きな違いがあるわけやのうて、

ちょっとした、風の向き、風の強さや、
ちょっとしたことで、躓いてバランスが崩れたら
バランスを崩したとき、誰も支えてもらう人が
なかったらあっち側へ落ち、

反対に、ちょっとしたひと言で、踏ん張れたり、
バランスが崩れたとき、手を差し伸べてもらう
ひとがいてうまいこと体勢を立て直せたら、
無事に歩いて、こっち側へ、降りられる。

あっち側へ落ちるのと、こっち側へ降りる人間と、
どちらにも、なりうるのが、わたしたちで。。。

そやからこそ、

<鬼>にならへんように、
<鬼>になりかかっても、
人間にもどってこれるようなもんを
できるだけ、ぎょうさん、作っておくことで、

ひと一倍、弱い自分でも、
なんとか、最後にこっち側へ降りてこられるように、
できたらええなぁ~と。。。

今日もまた、切れた、ちっちゃい堪忍ぶくろの緒を
繕いながら、メニュー選びをしております。(笑)

先が見えヘン、どこまで続いているか
わからへん塀の上を、
ひとりで歩いていくのは、
ほんまにしんどいことやけれど、

なんとか、かんとか、大丈夫や!って、

自分の気持ちも、<だましだまし>しながら、

とにかく、この一日のことだけを考えて、
一日一日乗り切りながら、なんとしても
みんな、<こっち側>へ、
降りてきましょうゾ!(*^_^*)

No.141 兄弟姉妹に告ぐ、の巻

はぁ~

また、キツイ言い方してしもた。。。
と自分に愛想がつき、

こんなふうに自分を追い込む、
介護が恨めしいて、

その介護をどこ吹く風と、
生活を謳歌しているであろう
兄弟姉妹の気楽そうな顔を思い出したら、
おほらしいて、やってられへん。。。

などと、スーパーのレジに並びながら、
レジ横のお正月のポチ袋をぼんやり眺めてみる。

 お年玉用に、
 なんで、こんな大きい袋があるんやろ。。。
 1万円札を折らずに入れろ、いうことやろか。。。

また、出費がかさむなぁ。。。と思いながら、
考えました。

だいたい、そう、自分の親を
兄弟姉妹やお嫁さんや、
家族の誰かに看てもろてる、

そういうひとは、お正月に、
うちに来てくれはらんでも、ええねん。

というか、

お正月の前にこそ、
うちに来てくれたらええのです。

頼みたいこと、してもらえることは、
いくらでも!

高いところの切れたままの電球の交換、
使わへんようになったカーペットや椅子やらを
大型ゴミに出してきてもらうこと、
玄関の高いところや格子の油拭き

重たい家具を動かしてくれたら助かるし、
庭の草むしりも、毎度毎度、めんどくさいし、
いっぺん、押入れの大掃除もせんとあかん、
お正月前のお墓の掃除にも、行かんならん!

そやから、
お正月に来るんやのうて、
お正月の前に、暮れにこそ、
お手伝いに、来てくれはるのが、ベスト!(笑)

ほんで、

<何したら、ええんや? >とか言いながら、
テレビの前で、寝転んでるんやのうて、
何をしたげといたら、助からはるやろう、と。
自分で考えて、サササッと動くのがよし!(笑)

そう言われても、

12月は仕事も忙しいし、遠方やから
電車賃高うて、とても行かれへん。。。

そういうときは、せめて、

いつも自分の分も、家族を看てもろてるひとに、
クリスマスプレゼントのひとつ、贈ったかて
神さんから、罰あたるもんやなし。(笑)

その際には、ちゃんと、
<いつもお世話をかけて、ありがとう!>と
たとえ、こころにはのうても、言葉だけでも、
メッセージカードのひとつもつけて、

お歳暮のついでに送った、
みたいなもんやのうて、

どこででも使える商品券とか、

もちろん欲しいけど、
自分ではとても手が出えへんような、
いざとなったら質屋さんへ持っていけそうな
ブランドもんとか、

いっぺん食べてみたい!というような
上等なフルーツとか、

介護疲れで<鬼>になってしもて、
自己嫌悪で凹んでるときでも、

送ってもろたそれをひと目みたら、
とたんに、元気が沸いてきそうな、
そんな<なんか>を、贈りなはれ。

そうそう、鬼といえば、

ただでさえ、せわしない師走に
用事ばっかり次から次へとあって、

ならんようにせんと!と頑張ってはみるものの
またつい、ひどいことを言う<鬼>に
なってしまいそうやけど、

今月は。。。お正月までは。。。
<しゃ~ない、赦す!!!>と、
自分で、勝手に決めましたさかい。(笑)

いちおう、フェアにと思うて、

<12月は忙しいさかい、
 もし酷いこというても、気にせんといてな
 寝たら、忘れるさかい。。
 お母さんも寝たら忘れてな>と

あらかじめ、あちらさんへも、
申し渡してきました(笑)

クリスマスでにぎわうモールは、
なんかイライラするし、

年末年始の海外旅行者がこれまでに最大と聞けば、
そんなとこ行けるひとはええなぁ~と思うし、

クリスマスもお正月も関係ない介護家族は、
何の楽しみもあらへん。。。

とため息が出そうな、そんなときやからこそ

家族を誰かに看てもらっているひとは、
ぜひ、お世話をしてもらってる家族に、
感謝の気持ちを伝えましょう。
できれば、かたちに、して(笑)

そんなんお金がもったいない!と、
言うのならば、お正月の、前に、
お手伝いに行きましょう!

そして、お正月は、どうか、
たとえちょっとの時間でもあったら、
ゆっくり寝さしてあげてください。

ほんなら、
大きいポチ袋も、買わんでええし。(笑)

そうしてくれたら、

<親を大事にしてきたか?>といつか
地獄で閻魔様に叱られはるときには、
ちょっとだけ、
ええように口添えしてあげまする。(*^_^*)

No.140 これ、誰の声?!の巻

ハーレクイーンロマンスの小説を
たとえ千冊読んだとしても、

恋の始まりの頃の、あのドキドキする感じや、

好きな人の気持ちがもうここにはないんやと
わかっていながら、認めたくない、
あの、心がつぶれてしまいそうな絶望感を

ほんまに、わかることは、決してないように、

えらいひとが、
<介護は、人としての尊厳を大切にすべし>
<残存能力を生かすべし>って、
テレビでいくら言わはっても、

何度も何度も、夜中に非常ベルで起こされては、
寝ぼけた状態で、あたふた駆けつけたり、

もうちょっと早かったらなぁ。。と

さっき掃除したばっかりのトイレを
臭いに耐えながら、雑巾がけしながら

なんかしらんけど、涙が出てくるけど、
今、拭くこともできひん(笑)

身をもって、そういう経験をしたことがなかったら、
ほんまに介護の大変さってわからへんと、思います。

今は、人権週間、らしい。

介護されてるひとの人権もやけど、
介護している人間の人権や尊厳には、
誰も関心がないのやろか。。。

なにをしてあげても、感謝の言葉があるでなし、
自分が思うようにしか、ぜったいにせえへん、

うまいこといかへんことは、みんな、私のせいで、
毎日、毎日、文句ばっかり言われてる身は、
ほんまに、やってらへんなぁ。。と

そんなことを思うてたら、ある日、

偶然、母を叱っている自分の声が、
携帯の録音のなかに入っていたのを聞いて、
驚いたこと、驚いたこと!

自分の声を、自分で聴くことって
ふだんは、まぁ、ほとんどないんやけれど、

ものすごい剣幕で、怒鳴っておりました。(笑)

<もう!何回言うたらわかるん!>と、
早う、あれせ~、これせ~、と、

命令口調で、次から次へと、まくしたてていた。

<これ、ひょっとして、わたしの声??!>

からだが思うようにならへんことは
いろいろとあるけれど、
できるだけ、笑顔で過ごしてほしいと
そう、思って、自宅で看る覚悟をしたはずが、

こんな声で怒鳴られて、笑顔で過ごせというほうが
そら、無理というもんでっせ(笑)

毎日毎日、暴言ばっかり吐かれて、
もう、やってられへん。。。
そう思っていたけれど、

わたしのほうが、こんなにも
暴言を吐いていた、とは。(笑)

明日は、優しく、話しかけてみよう。
母のペースを、ゆっくり待ってみよう。
なんかしてもろて、ありがとう、と言ってみよう。

お母さんのせいで、わたしの人生はめちゃめちゃや、
なんて、言わんようにしよう。(笑)

携帯のなかに入ってても、
慌てて消さんでいいように、優しい言葉を選ぼう。

それで、もし、暴言吐かれまくられたなら。。。

悪いのは私やない、と思うて、
一晩寝て、忘れよう。

良寛さんの詠まれた歌、

  裏を見せ、表を見せて散るもみじ

お母さん、ここへきて、裏、見せすぎどす(*^_^*)

No.139 ひとを恨まず、ひとをとがめず

自宅介護も10年を超え、
思うにまかせないことが続いているうち、

気がつけば、毎日のように、

介護に無関心の兄弟姉妹を恨み、
どんどん頑固になっていく親を恨み、
融通のきかない、介護保険制度を恨み、

余裕のない自分に追い討ちをかけるばかりの
親の行動をとがめ、声を荒げているうちに

かぁ~となって血圧が上がるのにつれて、
そこまでいうつもりのなかった言葉が
口からどんどん飛び出していくのを抑えらない、

介護やお世話がつらいというよりも、
そんな自分に、ほとほと嫌気がさしていたとき、

テレビを見ていて、この言葉を聴きました。

<人を恨まず、ひとをとがめず、
 ただ、感謝あるのみ>

新島襄さんの遺した言葉や、そうです。

実際、人を恨んだり、ひとの非をとがめていると、
ものすごい負のエネルギーを使います。

自分のなかに、なんや得体のしれへん
真っ黒な負のエネルギーが、
満ち満ちていくような気がします。
そして、いつかそれが、なんでもないような
ささいなひと言で爆発する、

のだけは、避けなければ。。。。

そのために、

誰かを恨んだり、責めたりしたくなったら
負の感情がふつふつと沸いてきて、
自分を満たしそうになったら

その瞬間、こころのなかで、
この呪文を唱えます。

<ひとを恨まず、ひとをとがめず、
 ただ、感謝あるのみ>と。

すると、いままで、高ぶっていた気持ちが、
負のエネルギーの熱が、いったん
ふっと拡散していくような気がします。

何度か、呪文をとなえるうちに、
少しずつ、少しずつ、自分の内にこもった熱が
下がっていくような、気がします。

どんなに、願っても、
どれほど、頼んでも、
わからへんひとには、わからへん。
わかるひとなら、ここまでせんでも、
わかってくれてはる。

どれだけ熱う語っても、
どれだけ言葉を尽くしても、、
変わる気のないひとを、変えることは
できません。

世の中は、ほんとうに不平等に、
理不尽にできていて、
優しくあればあるほど馬鹿をみる、
そんなことに、満ち満ちています。

なんとかして!という切実な思いに、
応えてもらえることは、とても、
とても、少ない。

せめて、それなら、自分の心だけは、
なんとか自分で護りぬかなければと思います。

恨みや怒り、憎しみといった負の感情が、
満ち満ちて、自分の心を壊さないように、
壊してしまう前に、

ひとのためでなく、自分自身のために、

<ひとを恨まず、ひとをとがめず、
 ただ感謝あるのみ>

そう呪文をとなえながら、
一日一日を乗り越えていけるよう、
明日も一日、頑張りませう。(*^_^*)

たしかに、介護も、毎日大変やけれど、
明治の初めに、日本に大学を創る苦労は、
そらもう、えらいことやったでしょうし。(*^_^*)

No.138 めがね屋さんのおっちゃん

<こんにちは~!>

<あ~、久しぶりやなぁ~! 
 元気にしてたんかいな!>

いつもお店の前を通ってはいるけれど、
なんとなく、おっちゃんの声を聞きたいな~
と思ったときに、よっていたお店。

もう30年以上も、めがねを作ったり、
歪みを直してもろたりして、
お世話になっていました。

私は、超強度近視のため、
めがねをしたまま、寝てしもうたりして、
ほんのちょっとでも、歪みがあると
なんやヘンな感じがして、

そんなときは、買い物の合間に
お店によると、いつも、こんな挨拶と一緒に、
奥のほうから、おっちゃんは出てきてくれました。

めがねを直してもろてる時間は、
ほんの数分だけで(笑)
そのあとはずっと、いろんな話をしました。

最近のうちの様子、
おっちゃんの持病の具合、
このごろきゃはったお客さんのこと、
おっちゃんのガキ大将やった少年時代のこと、

新京極のなかでめがね屋さんをしていた
若い頃のこと、
戦時中のこと、戦後のこと
おっちゃんが旅してきた国のこと

ときには、

ちょっと前に、先に病気で逝かはった
奥さんの話とかも。

<どんなひとやった?>と問うと、

<あ~、ま~、そうやな、
 ひとの世話するのが好きな、
 ええ人間やったな。>と

微笑みながら、答えてくれはって、

そんなふうに、自分のことを
ご主人に言うてもらえるのって
ええなぁ~と、思ったものでした。

夏の日には、店の奥の冷蔵庫から
なぜか、リポビタンDを出してきて、
飲んでいって!とご馳走になったりもして。。。

ほんまに、いろんな話をしたけれど、

おっちゃんは、ひとの気持ち、いうのが
ほんまにようわかるひと、やったから、

わたしが、家族の介護のことを話せる、
数少ないひとのひとりで、

話をするたびに、いつも

<そやけど、えらいなぁ~
 ちっとも、そんな大変そうに見えヘン。
 いつもニコニコ笑うて、話するさかい、
 苦労なんて知らんようにしか、見えヘンのは
 ほんまに、えらいなぁ~。>

と、褒めてくれはるので、

なかなかひとさんに褒めてもらう、
いうことがないので
いつも、とても嬉しかったです。

そんな、めがね屋のおっちゃんのお店が
2年前の秋になって突然、
いつ前を通っても、シャッターが降りていて、でも、

ちいさい、白いメモ用紙に、
<新聞屋さんへ
 また、入れてもらうとき、連絡します。>

と書いて貼ってあったんで、

旅好きで、日本といわず、世界といわず
どこへでも行ってはったおっちゃんのこと、

そのうちに、またもどってきて
お店を開けてくれはるもんやと思っていました。

ところが、

その後、一度もシャッターが開くことはなく、

そして、とうとう、この秋に、

おっちゃんのめがね屋さんは、
解体屋さんの手によって
わずか半日もせえへん間に、取り壊されて、
更地になってしまいました。

あの、なつかしい、カウンターや
リポビタンDを飲ましてもろたソファや
めがねのねじを止めてもろた
散らかりまくっていた作業台や、

なにもかもが、すっかり、
なくなってしまい、空き地だけがぽっかりと
残っていて。。。

ただ、
解体屋さんが、作業を始める用意をしてはる
ときに、あわててデジカメを取りに帰って
一枚だけ、おっちゃんのめがね屋さんの
写真を撮ることが、できたんで、
部屋の中に飾ってあります。

家族でも、親戚でもないし、
毎日会うわけでも、毎週会うわけでもない、

店の前を通りかかって、
ほんまに、気まぐれに、寄らしてもろてた
数週間、数ヶ月に一度、会うか会わへんか、いう
めがね屋のおっちゃん、やったけれど、

おっちゃんに、ニコニコしていてエライ!と
褒めてもらうのが、ほんまに嬉しくて、

大変やな~、よう頑張ってるな~と
言うてもらうのが、ほんまに嬉しくて、

十年あまりの介護の日々のなか、
その温かい言葉に、
おっちゃんのめがね屋さん
いう場所があることに、
どれほど、支えてもろてきてたか、

いうのを、更地になってしもたお店の跡で
ほんとに、深く、深く、感じたのでした。

ずっ~~と、ずぅ~~~と長生きして、
ずっ~~と、ずぅ~~~とここで
めがね屋さんをやっていると、
言うてくれてはったのに、

おっちゃんを、おっちゃんのめがね屋さんを
失くした私は、今、途方にくれています。

これから、いったい、誰とあんなふうに
話をしたらええんやろう。。
誰が、褒めてくれはるんやろう。。。

おっちゃんが、やはらへんようになって、
おっちゃんのお店がなくなってしもたことは、

ほんまに、ほんまに、悲しいて、さびしいて、
言葉に表しようもあらへんけれど、

おっちゃん、
また、会えるときまで、
ちょっとだけの、さよなら、です。

また、会うたときには、
また、あんなふうに、いっぱい、
時間を忘れて、いろんな話、しましょうね。

それまでは、
おっちゃんは、長い、長い、旅に出てはるんやと
思うことにします。(*^_^*)

No.137 幸せどっせ~!

<良かれと思って、したことが
とんでもないことになる>

そんな経験は、あまたしてきたけれど。。。

今回は、ほんまに、かわいそうなことに
なってしまいました。

寒うなると、いつも足が冷たい母のために
良かれと思って、ゆたんぽを足のそばに
おいて、毛布をしっかりとかけて、
部屋を後にしたんやけれど、

温もりすぎて、
持病の静脈炎が、急激に悪化!!!

3年もかけて、やっと良うなってきていたのが、
またもとの真っ赤な足に逆戻り。

お母さん、ゴメンなさい!!
温めたら、絶対良うなると思ってしたこと、
やったけど、あ~、えらいことに。

こんなこと、せえへんかったらよかった。
せめて、もうちょっと早う気がついて
冷やしてたら、こんなに酷うならへん
かったかも。。。

と、ひとり落ち込んでいたところ、

足を冷やされてるあいだ、
ベッドに寝転んでいた母が、こちらを向いて、

<あのな、もうやめとくなはれ。
 すんでしもたことは、しょうがおへん。

 たしか、そうや、

 <ひとと、比べへんこと>

 ほんで、

 <すんだことをくよくよ考えへんこと>

 そしたら、ひとはいっつも幸せでいられる、
 いうて、いつか、言うてはりましたえ。
 
 そやし、すんだこと言うのは、もうやめなはれ。
 前を向きなはれ!

 これから、どうしたらええか、考えて、
 できることしたら、ほんで、よろし!>

と。

たしかに、いくら悔やんでも、
時間は、逆戻りさせられへんのやさかい、
しょうがないことやさかい、

すんだことはもう考えんと、
早う治ってもらえるように、マメに
お世話させてもらいます。

いやはや、なんとも、申し訳ないことどした。

それにしても、ほんまに、
ポジティブなこと。

それこそが、
なにがあっても、上機嫌で
いっつも笑うて暮らせる、
秘訣いうわけですね(*^_^*)

No.136 ほれ、こっち見て!

<よろしおすか?

 いつもの、ここへ置いときますさかい、
 これを、こうやって、いつもみたいに 
 おなかにのせて、しっかり持って
 ほんで、運ばれていくんどすえ。
 
 お母さん、聞いてはりますの?
 韓流ドラマばっかり、見てはらんと。。
 ほれ、こっち見て!>

また今度転倒して、救急隊員のみなさんらの
お世話にならんなんときのために、

(というのも、私もいつ入院するかわからず、
 父は、昔から、ひとのことなど何処ふく風なので)

A4のクリアケースの表裏に、
<こんだけ書いておけば、なんとかなる!>という
母の特殊な<からだの状況>及び<今飲んでいるお薬>
について書いた紙を、差し込んで、

ぽっこり盛り上がった曲線を描いた、おなかの上にのせ、
ほれっ、持ってみて!と両手でしっかり持たせて。。。

みたものの、

<もう~、今佳境に入ったとこ、どすのや!>
と、テレビの韓流ドラマから、目を離さないままで、
ご立腹このうえなし。

それにしても。。

この、いわゆる<緊急時の情報カード>を作るのに、
あらためて、母のからだを目に浮かべて、
股関節は。。。膝は。。。腕は。。手は。。
とひとつひとつ考えてみると、

まさに、痛いとこ、動かないところだらけ。
できないことだらけ。

よくまぁ、これで、毎日、
ガハハ、ガハハと、いつでも笑って
過ごしたはるもんやと、

あらためて、母の持つ、その<ナニクソ魂>には、
かなわへんなぁ~と感心していたところ、

さきほどから、母が見ている韓流ドラマの
家族同士が、大喧嘩の修羅場になっているのが
ちらっと目に入ったのでした。それで、

<お母さん、えらいことになったはりますやないの!
 なにをあんな怒って喧嘩してはりますの?>

と、母に向かって、声をかけたところ、

チラッと、横目でこちらをうかがい、
そんなこと言うなんて信じられない、という様子で、

<あんたはんは、ほ~~んまにアホどすな。
 あれは、テレビどっしゃろ? テ・レ・ビ!
 それを本気で心配して、どないしますの、
 アホらしい。。。>

とのお返事が。

そう言わはるんやったら、お母さん、
一日に5本も6本もの韓国ドラマを、
佳境に入ったとかどうとか言うて、
真剣に見たはんのも
アホらしいんやないですか?(笑)
 

No.135 長いこと、お世話になりました

ええっ~!!いつのまに!!!

このところ、小さい頃から、よう面倒をみてもろた
商店街のお店が、相次いで閉店し、そして、
解体されて、更地になっています。

生まれてからずっと診てもろてて、
小学校の校医さんもしてもろてた歯医者さん。
あの歯を削るときのウィ~ンという音を
怖がって、びくびくしていた私に、
治療をする椅子の前に、可愛いぬいぐるみを
おいて、あれを見ててね、と言ってもらってました。

中学校の頃から、いつも通っていた
お好み焼き屋さん。
ほんまに美味しいて、放課後いつも
ブタ焼きそばを買いにいっていたので、
どんどん<ふくよか>にしてもろたお店。

焼きそばを焼くあいだ、いろんな話を
してくれはった、優しいおじさんと
おばさんの笑顔が、今も目に浮かびます。

おかずに困ったらいっつも
買いにいっていた、てんぷら屋さん。
足が悪うて、整形外科で知り合うた
おばあちゃんが、お嫁さんにわからんように、
いつも、笑顔で、コロッケとイカミンチを
こっそり<おまけ>してくれはった、
あのイカミンチの味が、懐かしいて
もういっぺん食べたいな~と今もよ~~う
思います。

高校生の頃から、いつもお世話になっていた
めがね屋さん。
おじさんが、いつも笑顔で迎えてくれはって、
なぜかいつも<これ、飲んでいき>と
リポビタンDを出してくれはって、
めがねの歪んでるのを直してもろた後も、
ときには1時間あまり、話し込んだものでした。

おじさんの生い立ちや戦前、戦後の話、
やんちゃをしていた若い頃のお話が
ほんまに、面白うて、そして
うちの介護の話も、ほんまによう聴いてもろて、

<ほんまに、いつ見ても、笑うてて、
 ようがんばってる>とおじさんに褒めもらえると、
とても嬉しく、また、頑張ろう!と元気をもらえました。

どのお店にも、いっぱいの思い出があって、
そのお店が、突然、風景のなかから
すっぽりと姿を消してしまう、のは、
ほんまに、さみしいのひと言やけれど、

話してもろたぎょうさんのお話や
お店でのさまざまなエピソードは、
おじさんやおばさんの笑顔や優しかった声と一緒に
今もずっと心の中にあって、昨日のことのように
思い出せます。

そして、今日、
ついに、12年間、使い続けた我が家の自転車にも
さよならを言うことになりました。

母の介護が始まる、少し前に買い換えた自転車なので、
日頃の買い物はもちろん、母が倒れたと聞いて、
全速力で仕事場から駆けつけたときも、

寝たきりになって、一日に何度も、自宅と病院を
行き来したときも、

病院へ繰り返し検査に通ったときも、

疲れたとき、ただただぼんやりとしたくて、
通っていた公園の芝生広場へ行くのにも、

いつも、一緒やった、ボロボロの自転車さん。

横着な私が、何度も何度も、倒してしまったので、
カゴも、ハンドルも、歪みまくってて、
タイヤのパンクも数知れず。。

それでも、いけるところまでと思って、
今日まで、乗り続けてきたのですが、
今月になってから、不注意で
自転車ごと、大転倒してしもて、ついに、
お役御免と、なったのでした。

新しい自転車を買ったお店が、
古い自転車は、引き取ります、と言ってくれはって
自転車屋さんの隅っこに、置いて帰ってきたんやけど

なんとのう別れるのがさびしいて、何度も何度も
振り返りながら、眺めたりしたんやけど、

それでも、<長いこと、ほんまにありがとう!>と
ちゃんとお礼を言えたことが、何よりやったと
思います。

歯医者さんの先生も、
お好み焼き屋さんのおっちゃんも、
てんぷら屋さんのおばあちゃんも、そして
めがねやさんのおじちゃんも、

みんな、寄りたいな~と思いながらも、
仕事や介護やと、自分が忙しいしてて、
行けずじまいで、

<今度、行こう!>

そう思てた間に、みんな、もう永遠に
会えへんようになってしもた。

そのことを、ずっと、ずっと、
今も、悔やんでいるので。。。

<ちょっと、寄ってみよかな。。>

そう思うたときは、誰のとこでも
何処へでも、今は、会いに行くようにしてます。

<ずっ~~と>一緒にいられる、いうのは
できひんのやと、わかってしもたから。

自転車屋さんから、もどっても、
まだ、なんとのう、さみしい気持ちがしたもんで、

寝ている母のところへいって、

<お母さん、眼鏡屋さんもついに、
 壊さはるみたい。。てんぷら屋さんも
 やめはったしなぁ。。。>

とつぶやいてみたところ、

<へっ?!まだやはりましたんか!!
 えらい、しぶとい。。。>

とのひと言が。

お母さん、みなさん、お母さんより
う~んと、若おっせ。

どえらく<しぶとい>のは、
いったい、どなたはんどすやろ(笑)

No.134 ちちんぷいぷい

<お母さん、
 9月はもう、冷蔵庫に今あるもんで
 ご飯せんとあきませんわ。。あと3日やけど。>

エンゲル係数が異常に高い我が家としては、
いわゆる<非常事態宣言>、

月末で、ちと家計が苦しゅうなって参りました、
と、母に、ご報告申し上げたときのこと、

<へっ?なんどすて??!
 お金がありまへんの? アハハハ!!!>
と、大笑い。

すると、隣でじっ~~とその様子を見ていた父が、

毎日<朝から眉間に皺>で、何事ものうても、
不機嫌極まりない、いつもの調子で、

<おまえは、何が可笑しいんや!!
 何をそんな大口を開けて、笑うてるんや!!>

と、大激怒。

すると、母が、

<あのな、お金いうのは、ひとといっしょで、
 楽しそうなほう、明るいほうへ、どんどん流れていくもん
 やそうどす。ラジオで、この前、そう言うてはりました。
 そやさかい、笑てるほうが、ええんどす。>

と、毎夜、トイレに4~5回起きるたびに、
愛聴してはる<ラジオ深夜便>からの薀蓄を
ひと言ご披露に。

すると、父は、ほんまに情けなさそ~に
こちらを一瞥しつつ、

<何にも可笑しいこともないのに、笑うてるんは
 アホだけや!情けないなぁ。。。ほんまに。
 誰が、しんどいときに笑てられるか!>

と、今日もまた、ひとり、ナントカ御膳、とかいう
ホテルのランチを食べに、お出かけに。

お父さん、食べに行かはっても、別によろしいけど、
レシートをうちのなかで落とすのは、やめなはれ。

やはり、2500円いう値段を見てしもうたら、
こちらとて、あんまり気分が良うないもんで。(笑)

その<おめかし>して、お出かけになる
父の背中に向かって、またまた大笑いしながら

<アホやなぁ、お父さん、しんどいときこそ、
 笑てるのがよろしいんやないの。>
と母。

ほんまに、好対照の2人ですが。。。

たしかに、
この両極端なDNAの産物であるがゆえに

私自身、時にしょ~むないことでも、イジイジと
気になったり、いっぽうで、
えらい事が起こったときでも、結構笑うてられたり
するのかもしれへん。。。などと、
妙に納得していると、今度は、

<ちちんぷいぷい、ちちんぷいぷい。。。>と
母が、左腕を押さえながら、唱え出しました。

<何したはりますの? っていうか、
 その腕の青黒~い痣、どうしはりましたん?>

<へっ?これ、昨日、はさんだんどす。
 後ろ手で障子を閉めようとしたら、
 反対の手が、まだついてきてはらへんかって、
 ほんで、左腕の後ろのとこが、
 戸にはさまりましてん。>

<あらら。。。5センチほどもある、大きな痣になって
 ますやん!>

<へぇ。そやけど<おまじない>今、しました
 さかい、もう大丈夫どす。
 ちちんぷいぷい、ちちんぷいぷい、
 ハイ!もう、これで、大丈夫!!>

そういうて、ポンッと痣をたたくと、ニッコリ。

ほんまに。。。

10年で13回転倒の実績をお持ちの母ゆえに
なんとか、転倒や怪我を防ぐべく、

家じゅうに手すりをつけ、
床をあちこち衝撃吸収のものに張替え、
滑り止めマットを敷きまくり、

介護用品のパンフがボロボロになるまで
思いつく策は施しておりましたのに、

まさか、
ご自分の右手で左手をおはさみになるとは、
そこまでは考えが及ばず、

まさに、こういうのを<想定外>の事態と
言うんでっしゃろ。

ところで、小さい頃から、怪我したときには
お母さんはいつも
<痛いの、痛いの、飛んでけ~>って
痛いとこを撫ぜながら、
言うてくれはりましたけど、

最近のおまじないは
<ちちんぷいぷい、ちちんぷいぷい>に
変わってたとは、知りませんでした。

ほな、これからは、お母さん流で、
いかせてもらいます。

まずは、

にっこり笑顔で、お金もひとも、
<こっち、こっち、こっちどっせ!!>と
寄ってきてもろて、

なんかうまいこといかへんときには、

<ちちんぷいぷい、ちちんぷいぷい、
 これでもう、大丈夫!>

とおまじないを唱えることに
いたしませう!(*^_^*)

No.133 大物伝説 その2

<お母さん、この前の晩、
 お母さんの話、思い出してしもて、
 わたし、夜、寝られませんでしたワ。。。>

と、いつも訪問看護に来てくださってる
看護師さんが、母の手をとって、
血圧を測かりながら、ひと言。

なんの話かと思えば、

母が小学校5年生のときにした、
中耳炎の手術のお話。

私は、小さい頃から、何度も聞いてるもんで、
状況が細部まで目に浮かぶようになってしもて
もうすっかりなれっこ、なんやけど、

初めて聞いたひとは、やっぱり、
ちょっと驚いてしまわはるかもしれません。

中耳炎の手術、それの何が恐ろしいかというと。。。

理由は、母自身にも、わからないらしいのですが、
小学校5年生のときに、なにやら、耳の奥のほうが、
ヘンな感じがしていて、しばらくのあいだ、
近所の病院へ行って、耳そうじをしてもろても、
いっこうに、良くならず、そうこうするうちに、

ある夜、突然、左の耳の奥に激痛が走り、
あわてて、おじいちゃんのお知り合いの紹介、
とかいう大丸のそばにあった、
一見ふつうの京町家風の建物の、
一流と評判の外科のお医者さんのところへ
駆け込んだところ、

膿が脳のほうまでいきかけているとかで、
すぐに切って膿を出さんことには、命の保障はない、
とかいう、おそろしい診断が下され、

直ちに、その京町家風のお医者さんの、
畳の部屋の真ん中に、ベッドひとつ置いただけの
部屋で手術することになったそうです。

で、どういうわけか、診察台の上にのった母を、
お医者様が、ゴザ、あの、ゴザ、

母が言うには、時代劇で、どざえもんになったひとが、
川から引き上げられたあとに、のせられてはる
あの<ゴザ>で、

上半身をぐるぐる巻きにされ、
ゴザごと、診察台にくくりつけられ、
身体も手も動かせヘンように
しゃはったあと、

同行していた、おじいちゃんに、ゴザの上から
動かへんように、母を押さえつけておくように
指示をして、

そのまま、耳の後ろを、グサッと、
麻酔もせんと、ナイフ、いや、メスで
切らはった、そうです。

あまりの痛みで、泣き叫ぶ母の声が、
お医者さんへと、遅れて駆けつけた叔母が、
京町家風の外科医院のある筋の角を曲がろうと
したときに、もう外へ漏れ聞こえてきた、

とかいう証言もあり、

小学校5年生の女の子が、
麻酔なしでの手術に、耐え抜いた、
という、いわゆる、母ご自慢の武勇伝
なのでありました。

<痛かった?>と
子供の頃、その話を聞く度に、
答えはわかっているのに、
なんでか、いつもは母に尋ねては、

<そら、痛おす。
 痛いなんてもんやありまへん。
 けど、しょうがおまへんやろ?
 みんなで、押さえつけてはるんやし。。
 泣くしか、あらしまへん。
 泣いてるうちに、終わりましたワ。>

と言われ、
いったい、その<痛みに強いDNA>は、
私のなかのどこに眠ってしもてはるんやろ。。。
と、思ったものでした。

私ときたら、
爪の逆むけでも、痛い!いうのに。。。

そういうたら、
ほんまに小さい頃は、あまりにも
母と自分の性格が違うもんで、
よう<捨て子説>が浮上したもんでした。

<お母さんと、わたしと、なんで
 こんな、ぜんぜん、似てへんのやろ。。。>

<そら、あんたはんは、
 賀茂川の橋の下で、拾ろてきたんやさかい、
 似てへんで、あたりまえどす。>

<どこの橋? 何橋?? 四条? もっと北?>

<へっ? どこの橋かて。。。
 どこか、もう忘れてしもた。どこでもよろし。>

<賀茂川の東側か、西側か、どっち?>

<めんどくさい子やなぁ。。
 もう、どこで拾たか、忘れてしまいました!
 もう、よろしいやないの、そんなこと。>

こういった会話が、大きいなるまで、
何度も、繰り返され、ときには、半ば
ほんまにそうやないかとさえ、思うことも
あったのですが、

成人して、あるとき、母がお世話になった
産婦人科の先生のところを尋ねることがあって、
そのとき、先生から、

<あんたをとりあげるときは、大変やった。>

と言われ、ようやく、この<捨て子説>は
母のいつもの冗談、出まかせの作り話やったと
納得したのでした。

母の手をもって脈を測ってはる看護師さんに、

<このひとの子やなんて、信じられヘンほど
 私は、痛いのに、ほんまに弱いんやけど、
 痛みに強いDNAは、遺伝せえへんかったん
 やろか。。>

と言っていると、

母がクスクス笑いながら、ひと言、

<あんたはんは、ほれ、
 半分、<あっち>が入ってはりますやろ?
 ほんで、<あっち>に似て、
 あかんたれ、どすのや!>

なるほど。。。それは、妙に納得!(笑)

No.132 イタリアの風にのって

<あ~、あ~、
 言うてしまわはった、このひと。
 今日は、さすがに、あきまへんやろ、
 この歌は。
 あんたはん、今日、お彼岸でっせ!>

と、テレビ画面を指差しながら、母が大笑い。

何のことかと、見てみると、
秋川なんとかさんという歌手のひとが、
ピアノ伴奏で、かの名曲、<千の風にのって>
を、高らかに歌い上げておられたのでした。

 わたしの~、お墓のま~えで~、
 泣かないでください~。
 そこに、わたしは、いません。。。

で始まる、この歌。

お彼岸で、みんなこの暑いなかを、
お墓参りに行ってきゃはったばっかりやのに、
そこにいいひん、いうのは、アカン!

というのが、母の爆笑の理由なのでした。
 
ほんでまた、続きに、

<そやけど。。。
 
 私は、お墓に入れてもらわんでよろしいえ。
 お墓参りに来てもらわんならんし、

 みなさんのお手をわずらわして、
 迷惑かけとうないさかいに、
 
 どっか、そのへんへ、撒いといてもろたら、
 ほんでよろし。>

との爆弾発言が。

まぁ、でも、こういう本人の希望、
言うのも、ちゃんと聴いておくことも
大事かもしれへんなぁ。。

ほな、この機会に!と、

<え~、そうどすか?
 そやけど。。。
 どっか、そのへん、言われても、困りますえ。
 どこか、ちゃんと言うといてもらわんと。>

と、さらにつっこんで尋ねてみたところ、

<ふむ。。。>

と、しばしお考えのご様子の後に、ひと言、

<そやな、ほな
 ベネツィアのあの、ナントカ広場の前の
 海へでも、ささっと撒いてもろといたら、
 ほんで、よろしワ。>

ベネツィア?って、ひょっとして、
あの、イタリアのベネツィア?!

どっか、そのへんって。。。

飛行機で行かんとあきませんやん?
ゴンドラも貸してもらわんとあきませんやん?
私、船酔いするのかて、よう知ってはりますやろ?

まさに、多大なるご迷惑やないですか!

あかん。。。
毎週、BSで<イタリアの小さな村>見るのは、
やめてもらわんと。

それやったら、ちょいちょいお墓参りに行かして
もらうほうが、よろし。

お母さんが、風にのってはって、
お留守してはっても、かまいませんさかい(*^_^*)

No.131 大物伝説

母と出遭って(?)から、ウン十年、

<このひとは、大物やなぁ~>

と思ったことは、何度もありますが、

そのなかで、今でも、
<あのときは、面白ろおしたなぁ~>
と、母が大笑いして思い出すのが。。。

あの、<ファンファーレ事件>。

今から数十年前、まだ、母が松葉杖を
つきながらでも、家の外を歩くことができた頃の話。

ちょうど、携帯電話ができた頃で、
母にもひとつ持ってもらおうと買ってきて、

いざ、着信音を選ぶのに、
ひとつひとつ、鳴らして聴いていた時のことでした。

あまたある着信音のなかに、なんと、
あの、競馬中継でおなじみの、
ファンファーレ、

そうです、

<ぱ~ん、ぱかぱぱ~ん!!>
で始まる、あのレースの出走の際に鳴る、
あの、ファンファーレが、あったのでした。

<これやったら、絶対、聞き逃がさはらへん!>
と、迷わず決定!

したまま、当時はさほど携帯にかける機会も
なかったので、すっかり忘れてしまっていたところ、

母の話によると、

ある日、お昼どきの買い物に、
当時まだぎょうさんのひとでにぎわっていた、
近くの商店街の八百屋さんで並んでいたときのこと、

突如、母のいつも着ていた割烹着のポケットに
入れてあった携帯から、

<ぱ~ん!!ぱかぱぱ~ん!!>と
大音量で、競馬のファンファーレが鳴り出した、

のだそうです。

<ほんで、お母さん、どうしゃはったん?>

と尋ねると、

そのときのことを思い出すと、
可笑しうて、可笑しうて、仕方ない、
という風で。。。

<どうって。。あんたはん、
 どうもしませんがな。

 あ~あ~、思うて、周りみたら、
 お隣の奥さんやら、お米屋さんの奥さんやら、
 不思議そ~~に、こっち見てきゃはったけど。。。

 同じように、

 <けったいなな~、どこで鳴ってますにゃろ?>

 いう、顔しときました。

 あの時は、みんな、なんとも言えへん、
 不思議そう~な顔してはって。。
 あれは、可笑しおしたなぁ~>

と、大笑い。

私やったら、真っ赤になって、
ずずずっ~と後ずさりして、帰ってくる
とこやけれど。。。

さすが、大物は、ちがう、いうもんです。

ほんで、それがあって以来、
母の携帯の着信音は、あの
<ファンファーレ>ではなくて。。。

<ひょっこりひょうたん島>に
させていいただいております。(*^_^*)

No.130 昔話の続きで。。。

<歯医者さん!そうそう、歯医者さんが
 ありましたんや!ほれ、お向かいに。。
 ふつうの家みたいにしか見えへんのやけれど、
 玄関はいったとこに、椅子がおいてあって。。。
 あんたはん、行かはったことおへんか?>

<なんで私が行ったことありますの。
 まだ生まれてへんのに(笑)>

と、次から次へと、その情景を、
まるで、ついこの前見たように、説明してくれる母。

実は、偶然見つけた、京都市のやってはる
<京都市明細図オーバーレイマップ>いうサイトが
あって、

そこでは、昭和の初めの頃の京都市内の地図を、
現在の地図と重ね合わせて見られるようになって
いるのでした。

その地図で、うちのほんまに近所あたりを見てみると、
うちの周りに、私の全然知らん、薬局や、歯医者さんや、
駄菓子屋さんや、饅頭屋さん、染物工場などなど。。。
いろんなお店や工場が載っていました。

<お母さん、うちのほれ、通りの角のところに
 お饅頭屋さんがあったん、知っといやすか?>

と、地図を眺めつつ、たずねてみたところ、

まるでずっと消されていた豆電球に突然、電気が
灯ったかのように、まさに、<!>って感じで、

<お饅頭屋さん。。あ~、あ~、ありました!
 西田さんいう、お饅頭屋さんどした。

 いっつも、店先に、美味しそう~~なお饅頭が
 並べてあって。。。。おばさん(母の妹です)と
 一緒に、あれ、食べたいな~言いながら、
 お店の前を通ったもんどした。。。

 あんたはん、食べたことありましたかいな?>

だから、生まれてませんって!昭和2年には(笑)

そんな感じで、あそこには、あれがあった、

あの工場には、誰がやはった、あの古道具屋は、
同級生の修ちゃんのおうちやった、

いっつも買いに行ってた<フジパン>のパン屋さん、
<オーション>という名の絶品ハムサンドを
作ってくれてはったおじいちゃんは、昔学校の
せんせをしてはったんや、とか。。。

いうて、地図を見ながらの昔懐かしいお話は、
いつまでも、いつまでも、続けられるのでした。

また、近所のお話やのうても、
ちょうど母の子供の頃、青春時代いうのは、
日本の戦時中、戦後にあたっていて、

戦争中に香住のいとこのところへ疎開させられて
ぎょうさん疎開してきた子供がいたさかいに、
速う食べへんかったら、ご飯がなくなってしまう
ので、それで自分が<早食い>になったんや、とか。。。

戦時中、食べるもんがのうて、小学校5年のときに
滋賀県の田舎までお米をもらいに、三条から大津電車に
乗って、さらに、一晩船に乗って、琵琶湖を渡って
ひとりで行ったこと、帰りの電車でお米が見つから
へんように、どきどきして帰ってきたら、三条に
おじいちゃんが迎えにきてくれてはって嬉しかったこと、
とか。。。

戦後に、高校の前に進駐軍の兵隊さんの基地があって、
進駐軍のひとは、お尻が大きいな~と驚き感動したこと、
とか。。。

そんな話になると、もう次から次へと(笑)

記憶とか、海馬とか、いうのがどういう具合に
働いたり、衰えたりするもんなんかは、
私にもようわからへんけれど、

60年も、70年も前のことを、まるで、
つい昨日のことのように、嬉しそうに話す母を
見ながら、ようそんな細かいことまで、覚えて
はるなぁ~としみじみ感心していると。。。

<ふむ。。。ほんで、さっき、
わたし、目薬さしましたかいな。。。>

と、つい、さきほどのこともお忘れのようで(笑)

お母さんをみていると、つくづく、
人間いうのは、ほんまに不思議なもんやなぁ~と
思います。(*^_^*)

けど、そうやって、今のお年寄りの皆さんが
戦時中、そして戦後と必死で生きてきてくれ
はったからこそ、今の時代があるんやと思うと、

母だけやのうて、そんな皆さんおひとりおひとりの
昭和の昔話を、聴いてみたいな~、というか、

聴いておかんと、もったいないな~と、
そんな気がするのでした。

No.129 いやなことは。。。

晩ごはんも終わって、ほっとひと息、
母の部屋で、ひと昔前のサスペンスドラマを
見ていたときのこと。

顔を見たら、<時々出てはるあのひとや!>って
わかるんやけれど、ど~~~うしても名前が
出てきいひん中年の俳優さんがやはったもんで、

<お母さん、あのひと、ほら、昔、
 ぎょうさんで踊りながら歌、歌うてはった、
 ほれ、男ばっかりのグループで。。
 あ~、ほら、名前が出てきいひん。。。
 あ~、誰やったかなぁ~、覚えてはらへん?
 なんていうグループやったかいな。。>

と、ダメもとで、尋ねてみたところ、

ちらっと、テレビ画面のなかの俳優さんを
ちら見した母が、あ~あ~、それ。。という感じで、

<一世風靡セピア、どっしゃろ。。。>と。

<ええっ!!なんで??なんでわからはったん?>

ついさっき、晩ごはんのあとで、

<ちょっと!
 わたし、さっき薬、飲みましたかいな。。
 お薬の空いた袋、どこぞにありますか?
 あんた、見てへんかったんどすか?

 あっ、あ~、お水が減ってますさかい、
 きっと 飲んだんどっしゃろな。。
 もう、よろしいわ。。あっち、行って。>

と今や日課となった問答を繰り返している母の口から、

まさか、何十年も前の、芸能人のグループの名前が
すらっと、ほんまに、すらっと、
出てくるやなんて。。ありえへん。。。

<なんでて、あんた、私かて
 覚えてますわ、そんなことぐらい。>

<そやけど。。。
 もっと、近うても、覚えてへんことも、
 ぎょうさんありますやろ?

 私の小さい頃のことかて、尋ねても、

 そんなこと、知りまへん、とか、
 そうやったかいなぁ~とか、
 そんなこと、ありましたかいな~

 とか、よ~う、言わはりますのに、
 また、なんで。。。>

と、まだ不思議でたまらず、母の顔を眺めながら
ぶつぶつ言いながら考えていたところ、

いったい、いつまで面倒くさいことを
言うてるんやろ、この子は。。という顔で、あっさりと、

<私はな、いやなことは、みんな、忘れますのや!>

との、ひとことが。

なるほど、そうどしたか、
私のご幼少のみぎりのお話は、お嫌なこと
どしたんか(笑)

などと、言いつつも、このところ、母とは、
よ~う、昔の話をします。

母とよう昔話をするようになったきっかけ、
いうのは、

最初に、寝たきりになった、10年ちょっと前、
元気がのうて、なにをしても無反応な様子が
続いていた頃のこと、

なにかの拍子にふと、昔、家の向かいに住んで
はって、子供の頃よう遊んでもろた、お豆腐やさん
の娘さんのことを尋ねたとき、

突然、母の表情が一変、
いつもの無表情な様子から、いっきに
楽しそう~な顔になって、

まるでどっかでスイッチが入ったように、
次から次へと、思い出話が飛び出したのです。

しかも、ようこんなことまで。。。と思うような
ものすごう細かい、ディテールまで、
はっきりと覚えていて、

まるで、つい昨日のことのように、
話してくれたのでした。

それ以来、なんかの理由で、あんまり元気がない
ようにお見受けしたときには、それとのう、
母に、忘れてしもたことを尋ねる風を装いつつ、
昔話をし向けるように、なったのでした。

もちろん、<嫌な話>は、早々にお忘れになられる、
いうなんとも羨ましい体質やそうなので(笑)

悲しいかな、すでに忘却のかなたへと追いやられて
しまった家族の思い出も、多々あるなか、

ほんま、ほんま!と、母と今も、すぐに意気投合して
盛り上がれること間違いなし!!のスペシャルな
思い出が二つあって、もちろん言うまでもなく、それは、
<食べ物にまつわる思い出>なのですが(笑)

最初のお話は、
<円山公園で早朝に食べたトーストが美味しかった!>
という思い出のお話。

まだ私が学校へ上がる前の頃、日曜日の朝早くに
幼い弟と私を連れて、母は円山公園へとよく散歩に出かけ
たものでした。

早朝で、他にお客さんも乗ってはらへん、
貸切みたいなバスの最後部に、三人並んで座り、
超特急みたいに速いこと進むバスのなかで
眠さに目をこすりながら、しりとりなどした後、

祇園さんの石段の下でバスを降りて、円山公園へ
と入っていくのでした。

有名な円山の紅しだれ桜の横を通り、
坂本竜馬さんの銅像の前を通って、うろうろと
公園のなかを歩いたあと、
ときには、霊山観音さんのほうまで、坂を
上ったりもしながら、いつも

最後に、円山公園の奥にあるお茶屋さんに寄って、
七輪の炭火で、5センチぐらいもある
<ぶ厚~いトースト>を、網の上で焼いてもらいます。

よう海の家に置いてあるような、パラソルの下、
白くて小さなテーブルに三人座って、

網の目がしっかりとついた、焼きたてのパンに
たっぷりとバターとイチゴジャムを塗って食べた
炭火焼のトーストの香ばしい美味しさ!!

これは、もう子供心にも、まさに感激的で、

<おかあちゃん、これ、ぶ厚いなぁ~
 おかあちゃん、これ、美味しいなぁ~>

そう言いながら、朝日が差し込んできた円山公園で
<この世にこんなに美味しい朝食があったのか!>と
大感激して食べたトースト、長いこと生きてきても
あれを超える味のトーストには、いまだに
出遭えていません。

そして、2つ目の思い出は、ミートソーススパゲティ。
もう、とおの昔になくなってしもたけれど、

ずっと昔、京都の寺町にある藤井大丸の地下に、
ちょっとうす暗い照明の、小さな喫茶店があって、

学校に上がった頃の日曜日、買い物やなんかで
四条通りへ出かけた折には、決まって
母と弟と三人で、この喫茶店で
ミートソーススパゲティを食べるのが、
楽しみになっていました。

240円で、細長い銀のお皿の上に、
白いスパゲティ、その上に、
遠慮がちにかけられたミートソース、
そしてさらにその上に、薄~~くスライスした
<にぬき>が2切れずつ、まるで目玉のように
並んでのっかっていて、

それに、粉チーズをふって食べると、
なんとも、これが、西洋(?)な感じで(笑)

<おかあちゃん、このスパゲティ、美味しいな~!>
<おかあちゃん、タマゴも二つのってるえ~!>

と、薄暗い店内で、大人用の椅子によじ登ったものの
足が床につかへんので、ぶらぶらと足を揺らしながら
周りのひとに聞こえへんようにと、遠慮しながら
小さい声で、母に、喜びを伝えたものでした。

四条に出かける用事があると、いつもこの
ミートソーススパゲティを食べに行ける!
と当時は、これがなによりの楽しみで、

この円山公園の厚切りトーストと、
藤井大丸のミートソーススパゲティの
思い出は、

美味しかった、その味だけやのうて、

朝陽が差し込んで、しだいに照らされていく
円山公園の石畳の道の眩い感じとか、

細長い銀の皿の置かれていた、四角い
木のテーブルのこげ茶色の色とか、
頭のすぐ上にあった、裸電球のランプとか

今でも、細かいところまで、よ~う覚えて
います。

介護中、何度、この話を繰り返しても、

いつでも、
<あ~、あれは、ほんまに美味しおしたなぁ~>と
母が、いつも、その話になると、ニコニコ笑顔になるので、

これだけ長いこと忘れてはらへん、いうのは、
<いやな事はすぐに忘れる>母の体質からいうならば、

<いやなこと>やのうて、きっと私だけやのうて
母にとっても、<幸せな記憶>やさかいやと
ずっと思ってきましたんやけど、

最近、ふと、思うたんやけど、

あるいは、ひょっとしたら、
<忘れる>のを、<忘れてはる>のかも、
しれへんし。まぁ、よろしおすけど(*^_^*)

No.128 エンゲル係数をめぐる話

ある日のこと、母が食事をしている間、
そばで、家計簿をつけていると、

なにやら、じっ~~と私の手元を見つめていた
母がひと言、

<昨日、テレビで、やってはりましたえ。
 ひと月、食費が3万円いう、おうちがあるそうどす。>

<・・・・・>

<ひと月で、3万円、それも同じ三人家族で、どす。。>

<それが、どうしゃはりましたん?>

家計簿の8月の合計金額欄を、微妙にひじで隠しながら、
とりあえずの時間稼ぎを。。

<いや、うちは、いくら、かかってんのやろ、思うて。。>

<いくら。。って?>

と、さらなる時間稼ぎを。。

<そやさかい、ひと月の食費がいくらか、どす。
 今、家計簿つけてはりましたやろ?>

<そら、月によって、違いますやろ?>

と、なんとか話題を変えられへんか
頭を巡らしてみる。。。

<今月でも、先月でも、よろし。>

<今、計算してるとこやし、正確には。。。>

<あ~、もう、そやし、だいたいで、よろしいさかい、
 ひと月で、いくらかかるのんか、言うとうくなはれ!>

あ~、もうここまできたら、いくらか言うまで、
承知してもらわれへん。。。とは思うものの。。。

ひと月3万円、と言われたあとで、
まさか、この数字をそのまま言うわけには。。
う~ん、どないしよう(汗)

<まぁ、うちは、もうちょっと、かかってますわ。>

<もうちょっとって。。。どれくらいちょっと?>

<そやし、同じ人数でも、うちはエンゲル係数が高い
 さかいに。。>

<なにが、高おすて??>

<いや、そやから、エンゲル係数が!>

<それ、なんどすの?>

<う~ん。。そやから、ただ、ご飯を食べたらええ、
 いうのと、ちょっとちごうて、どんな食事をするか、
 いうのを、大事に考えてますのんや。。

 ほれ、栄養面とか、塩分とか、そういう面に
 配慮しながら、尚且つ、美味しいご飯になるように。。
 簡単に言うたら、デラックスなメニューというか、
 なんというか。。>

<ふむ。。あんまり、わからしまえへんけど。。。>

と、なんとも、失礼なお返事が。

<食べてるひとには、わからんでも、
 作ってるもんは、いろいろと考えてますのんや!

 お母さんの血液検査、この前も、ぜんぜん問題なし、
 言うて、先生が、びっくりしてはりましたやろ?
 あれは、みんな、その効果の表れ、どす。>

<はぁ。。そんなもんどすか。。>

と、やっと、ごまかせたかと思った矢先に。。

<ほんで、ひと月にいくらどすて??>

と、こういうときだけ、なかなか
忘れてくれはらしません。あ~もう、面倒な。。

<わかりました!
 ほな、来月から、うちもひと月3万円になるように
 考えてみます!

 そのかわり。。。
 お母さんの好きなおかき<ばかうけ>も、買われしませんし、
 シャンプーも、<リンスのいらないメリット>になります。
 通信販売のホテルのスープも、買いませんし、
 お部屋に飾ってる、お花も、造花になるかもしれまへん。。

 それでも、よろしおすか?>

<そこまで、せんならんこと。。>

<でしょう? そやし、ひと月3万円は、無理ですわ!
 うちみたいな、エンゲル係数が高いうちでは、絶対!!

 お母さん、よそはよそ、うちはうち、どすって!
 どこも、同じようには、いかしません!
 それに、健康は、お金で、買えしまへん!!
 そうどっしゃろ? からだのこと考えたら、
 お金のこと、言うてられしまへん!>

と、これで、しっかり、話はついた、ふうに
パタッと家計簿を閉じて、
ご飯の片付けに向かうふりをすると。。。

<ふむ。。。>と

まだ、納得のいかないご様子で、机の上の家計簿を
じっ~とながめておられるご様子。。。

あかん。。。うかつなことを。。
母の前で家計簿つけるのは、
今後、せんように、気をつけんと!
うちは、エンゲル係数が、とてつもなく高いもんで(笑)

後日談ですが、数日後、

訪問看護の看護師さんが、いつものように、
<お母さん、食欲はありますかぁ~?
 おうちのご飯は、美味しいですかぁ~?>

と、たずねられたときのこと、

<食欲は、いっぱいあります!
 ご飯は、うちは、よそよりちょっと高いそうどす。>

と、答えてはりました。(笑)
 

No.127 お饅頭をめぐる話

母の話は、突然に始まることが多いのですが、

今日も、おやつに、美味しい水無月を
二人でいただいていたときのこと
突然、思い出し笑いを始めました。

<あの、ほれ、昔、そこの角を曲がったとこに、
 ニシダさんいう、饅頭屋さんがありましたんや、
 ナカノさんのお酒屋さんの隣に。

 お店の前に、いっつも、綺麗なお饅頭がずらっ~と
 並んでて、それが欲しいて、欲しいて、
 いっつも、おばあちゃん(母の母)に頼むんやけど、
 アカン!言うて、買うてもらえへんかったんどす。>

<半生菓子、どすか?>

<へっ?なんや、色のついた、綺麗なお饅頭どす。>

<お小遣いで、買わはったら、よろしおしたのに。>

<お小遣い、いうようなもんは、
 あの頃は、わたしらは、もろてしまへん。>

<あ、ほんで、今でも
 和菓子が、食べたい!和菓子が、買うてきて!
 言うて、頼まはりますのやな。>

<ふむ。。。>

と、ここで、2つ目の水無月をいっきにほおばり、
ふたたび、<うふっ。>と思い出し笑いをしながら、

<ほんで、あの頃はよう、
 ほれ、あの公園ありまっしゃろ?
 あそこに、紙芝居のおっちゃんが、来てはって、

 紙芝居見るのに、水あめ買わんとあかんのやけど、
 お小遣い、もろてへんさかい、買えしまへんわな。

 ほんで、並んで見てはる近所の子供らの後ろに隠れて、
 こっそり、見てたんやけど、

 なんでや知らんけど、それがいっつも、おっちゃんに
 見つかりますのや(笑)

 ほんで、<ただ見(ただで見ること)>はアカン!
 言うて怒られて、シッ!シッ!ってされたもんどす。>

<そら、あきまへんやろ? 買うて、見んと。>

<そやけど、お小遣い、もろてへんし、ほんでも
 こどもやさかい、それが見とうて、見とうて。。。

 ほんで、ある日、ついに、
 〇〇おばちゃん(母の妹さん)が、おばあちゃんが
 卓袱台に置き忘れてはった小銭を見つけて、
 パンツの中に入れて、
 紙芝居、見に行かはったんやけど。。。>

パンツのなかにお金を入れてたら、落ちひんのやろか。。。
あっちこっちに、回っていかへんのやろか。。。
と、そのことに気をとられていたところ、話が続いていて、

<また、運の悪いことに、パンツのなかから、お金出して
 おっちゃんに渡してるとこを、お向かいのおばちゃんに
 見られてしまわはって。。。

 ほんで、お向かいのおばちゃんが、

 こんなこと、言うてええかどうかわからへんけど、
 さっき、〇〇ちゃんが、公園でパンツからお金だして
 はったんを見たんやけど。。。

 言うて、うちへ、ご忠言に(つまり、今でいうチクリに)
 きゃはったもんやさかい、

 おばちゃんは、おじいちゃんとおばあちゃんに、
 怒られはって、えらい騒ぎになったことが
 ありましたんや。>

と、当時の状況を思い出すように、
クスクス笑いを続ける母。

それを見て、あ~、それでやったんか、と納得の私。

というのは、

私は、小さい頃から、ほんまに、アホほど(笑)
どうしようもないほど甘やかされて育っていて、

何か、欲しいもんがあると、アレが欲しいと言えば、
<そうか、そうか!ほな、買いなはれ!>と
なんでもすぐに、上等のモンを買うて来てもらっていて、

<言うといたる!こんな子は、大きいなったら、
 ロクな人間にならへんぞ!!>

との、近所のおっちゃんの、まさしく、その
予言どおりの大人になってしもたんやけど(笑)

あれはきっと、
自分が小さい頃、どんなにたのんでも、お饅頭を
買うてもらえへんかったときの気持ちを、
ずっと忘れんと覚えていた母が、

自分の子供には、そういう思いをさせとうない、と
そう思うてのことやったんや、と

話を聴きながら、思ったのでした。

小さい頃、何不自由なく育ててもろたんは、
母なりの愛情やったんやな、とあらためて
そのことには、感謝しつつも、

<そやけど、お母さん、なんでもすぐ買うてもろて
 たりしたら、大人になったら、エライ目に、
 あうんと違います? 

 厳しいほうが、ほんまは、先々では、
 その子のためになるんと、違いますやろか?>

そう問いかけてみたところ、

3つ目の水無月を口から離し、
(どれだけ、食べるねん!)
しみじみと、私の顔を眺めたあと、

<ふむ。ほんまやなぁ。。
 そう、思いますわ、ほんと。>とのお返事が。(笑)

たしかに<エライ目>には、色々おうてますけど(笑)
お母さん、それはちょっと、失礼やおへんか?(*^_^*)

No.126 変わってしまわはったなぁ。。。

幼い頃、大好きなおかずがあると
自分の分を食べ終わったあと、
ふと、母のお皿をチラ見しただけで、

<もっと欲しおすのか?
 遠慮せんで、ええんやで。
 ほれ、私のも、食べたらええさかい、
 持っていきよし、はい!>

と、にっこり笑顔で、
自らの分を差し出してくれた母でしたが。。。

近頃、すっかりひとが変わってしまって、
お昼に作った焼きそばのお皿、
自分の前に置かれた分と、私の前に置かれた分を
一瞬にして、品定めし、

<なんや、わたしのほうが、
 少ないような、気がしますけど。。。>

と、うらめしそうな目で、
じっとわたしのお皿のうえの焼きそばを凝視。

<おんなじ、おんなじですって。
 どっちも多い、少ないあらしませんって、お母さん。>

そう言うても、まだ納得いかへん、といった感じで
わたしの焼きそばから、目を離すことができないご様子。

<はい、はい、わかりました。
 ほんなら、交換しましょ!
 こっちがお母さんの、ほんで、こっちの少ないのがわたし、
 これでよろしおすやろ?>

と言いながら、お互いの焼きそばを入れ替えると、

ほんまにこっちで正解やったのかと、
再度、確認のために、じぃ~~~~と
2つのお皿を見比べてみたあと、

やっとこさ、お箸をつけていただけたのでした。

また、昨日のおやつの時間のこと、
暑い中、私が錦小路までせっせと自転車をこいで、買ってきた、
わたしの大好きな、丹波の大きい、大きい、<ポンの焼き栗>

これを、あろうことか、
袋を置いた途端に、パクパク、パクパクと
次から次へと、手を伸ばされ、

わずかな時間に、
やけにぺっしゃんこになった袋の外観に、
いやな予感が、あたまをよぎったもので
ガサガサと、なかに手を突っ込んでみたところ、

ええっ~!
ひとつ!!!たったの、ひとつ!!
オンリー、ワン! ラスト、ワン!

袋の底の隅ほうにポツンと
たったひとつの栗だけが。。。

<ええっ~~!!
 もうぜんぶ食べてしまわはったん??
 今日、買うてきたとこ、どすやろ??
 あんなにぎょうさん、あったのを、全部???
 うそやん。。なんで。。。ひとりで。。
 どうなってんの??>

とあきれて、そばにいた母を問い詰めたところ、

韓流ドラマの画面から目を離すこともなく、ひと言。

<知~~~らない。>

と、なんとも間のぬけた返事が。

さらに、それでも、あきらめきれずに、
ブツブツと文句を言い続ける私を見て、

<もう、あんたも、ほんまに
 しつこいおひと、どすな。

 食べてしもたもんは、今さら言うても
 しかたあらしませんやろ?

 そんなに欲しいもんやったら、どこぞに
 隠しとかはったらよろしいやないの。
 そうか、もっとぎょうさん、買うときなはれ。
 
 そこへ置いてあったさかい、
 そないに、欲しいこともなかったけど、
 いやいや食べてましたんや。>

との暴言が。

<そないに欲しいこともなかった>
<いやいや食べた>って、どういうこと?

手術のあと、やっとこさ、自転車に乗ってもええと
先生からお許しがでたさかい、

えっちらほっちらと、しんどいなか、
また、紫外線もキツいなかを、
買うてきたんやないですか!

しかも、10個ほどで千円もするんやさかい、
そんなぎょうさん、買えまへんやおへんか。。。

と、怒りはなかなか収まらへんけど、
いつまでも怒っていても、丹波栗は帰ってきいひんので、
ここはひとつ、過ぎてしもたことはしゃ~ないとして、
前を向いて、これからのことを考えようと、

底にひとつ、栗の残った袋をつかむやいなや、

<ほな、これは、わ・た・し・の栗どすし!
 食べんように、しとくりゃす! 絶対!
 な、お母さん、約束どすえ!>

と韓流ドラマを見ている母の面前に立ちはだかって
丹波栗の袋をフリフリしながら、強く念押しをして、
晩ごはんの仕度に台所へと行ったわけですが。。。

もう、ご想像に難くないと思われますが、
晩ごはんの散らし寿司を並べようと、
食卓へともどってきたところ。。。

テーブルの上に、ひしゃげた丹波栗の袋だけが
残されていて、母の姿は見えず、そして
母の部屋のほうから、テレビの音と、
爆笑する母の声が。

あれだけ、あれだけ、頼んでおいたのに。。。
あれからまだ、1時間と経ってへんのに。。。

ぺしゃんこになった袋をひっつかんで
母の部屋のドアへと突進し、

<お母さん! あれだけ言うておいたのに
 なんで、わたしの栗、最後の一個の栗、
 食べてしまわはったん??なんで??>

<ふん?なにが?>

<栗!!!栗の話!!最後の一個のやつ!>

<あ~そうそう、そういうたら、
 あんさん、なんや言うてはりましたな。
 テレビ見てたら、忘れて、食べてしもたわ。
 ハハハハ!!>

<・・・・>

これがあの、かつて、
<わたしの分も、遠慮せんと食べなはれ!>と
笑顔で、自分のお皿を差し出してくれていた
同じにんげん、だとは、とうてい思えません。

世の中には、
<人間いうのは、そう変われるもんやない>
そう言わはるひとも、やはりますけど、

いやいや、いくつになっても
ひとは変われる、激変することもできる、と
母をみていると、よ~う、わかります。

それにしても。。。

あの、自分の食べ物をもわけわけしてくれていた
あの、母と

最後のひとつまで、もってってしまう
この、母と

どっちが、ほんまの、お母さんの性分なんですやろね。

それとも、
わたしも齢を重ねたら、こうなりますのやろか。(*^_^*)

No.125 あえて申し上げるとするなら。。。

<もう~、何をしてはりますのんや!
 ほんまにあんたは、辛気臭(しんきくさ)おすなぁ~!
 はよ、見せてみなはれ! ほれ!>

と、日頃のリハビリの成果もあって、
とても80代の女性とは、思えないほどの
<馬鹿力>で、私の手からタオルをひったくると、

ずんずん、まさに、文字通り、<ずんずん>と
ハイスピードで、ミシンをかけ始める母。

<あかんって、お母さん!
 そこは、しつけしてから縫うって
 書いてありますやろ。。。ほれ、ほれ!見て!>

と説明書を目の前にかざすのも、一瞬にして、
しっ!と手で、邪険にはらわれ、

<しつけは、いりまへん!! 
 ミシンかけながら、よせていったら、
 ほんで、よろしいのや!>

<そもそも。。あんたはんは、その紙ばっかり
 見てはりますやろ?
 こういうもんは、出来たモン見たら、どないしたらええか
 すぐ、わかりますのや! はよ、その出来たほうの帽子を
 見とうみやす!!>

と言われたところで、

生来、縫い物&編み物アレルギー(?)で、
学生の頃、家庭科のお裁縫の時間になると、
先生を激怒させていた私には、

まったくなにが、どこが、どうなってるんか、

説明書を読もうが、出来上がりを見ようが、
まったく、わからへんのです。

そやけど、この、<タオル帽子>だけは、
なんとしても、自分で作れるようになりとうて、

それで、ここへ来るまでに、これでも、
1時間ほど、ああでもない、こうでもない、と
ひとり奮闘してみたんやけど、

あ~もう、これは、どうにもならへん。。。
と泣く泣く白旗をあげて、

罵倒されるのを覚悟の上で、
お母さんの助けを借りることにした次第
なんやさかい。

しかし、
人間、いうのは、ほんまに、不思議なもんで、

ついさっき、自分が飲む薬がどれやったか
またわからんようになってしもた。。と

毎日飲んでるお薬を、あっちの袋をガサガサ、
こっちの袋をガサガサと、探し回っていた母が、

何十年ぶりに触るミシン、
それも、昔の、福助さんの、あの手回しやのうて、
電動の、テーブルの上で使うミシン、

私がたまに使っているのを横でじっ~~と
眺めていただけのミシンにもかかわらず、

物怖じせず、あっちのボタンを押し、
こっちのレバーを上げ、あっちのダイヤルを回し、
と、あちこち、いらい探しているあいだに、

わずかの間に、もう使い方をすっかり習得しもて、

私が、お手上げ状態になっていた、タオル帽子の
ややこしい部分を、しつけもせんと、猛スピードで
ダダダッ~と、魔法のように次々と布地をよせては
縫い上げてしまったのでした。

ほんに、お薬を管理するのにいる脳みそと
ずっと昔に身についてる技術を思い出す脳みそとは、
きっと、海馬のなかでも、ちがう場所にあるんやろな~と

鬼気迫る様子で、猛スピードでミシンをかけ続ける
母を見て、感心することしきり。

昔とった杵柄、いう言葉がありますが、

年いったさかい、出来ひんやろうなぁ。。と
なんでもはじめから決めつけてしまわんと、

<ちょっと教えてくれはる?>と
年長者の皆さんには、なんでも、頼ってみるもんやなぁ~と
思いがけない助けを得て、上機嫌でいたところ、

<ほんまに、あんたはんは、このうえのう不器用どすな。。>
<こんなもん、誰でも、こどもでも、出来ますえ。。>
<なんで、これがわからんのやろ。。。
 それが、わからんわ。。。ほんまに。。>
<いったい、誰に似てこんな子になったんやろう。>
<がっこの洋裁の時間、何してはりましたんえ。。>
<あたまが悪いにも、ほどがある。。>
<なんで80にもなって、こんなことせんならんのどす。。
 情けない。。>

と、そこまで言わんでもええやん!
というような、とお叱りの言葉が次々とお口から。。

お母さん、ほんまのこと言いましょか?
自分でも不思議なんですわ、なんでこんな不器用なんか(笑)

そう思うて、

<ほんまに、言わはる、とおりやわ。
 なんやしらんけど、小さい頃から、私は
 お裁縫だけは、得意やなかったさかいなぁ~>と

出来上がった(出来上がらせてもろた)
タオル帽子をさっそくあたまにかぶりながら、
珍しく素直に、認めてみましたのに、

<お裁縫だけって。。。あんた。。
 なんかほな、これいう得意なもんて、
 ありましたんか?>と、

さらなる追いうちが。。。

おっしゃるとおり。
特にこれといって何も、ございません。

あえて、あえて、言わせてもらうとしたら、母上、
<めげない>いうのが、得意なとこやないかと(*^_^*)

No.124 師匠と呼ばせていただきます。

思いがけず、受けた検査で、入院・手術が必要と
告げられたのが3月末のこと。
4月の連休前に、とすぐに手術日も決まりました。

その間、
今日、医学は日々進歩しているとはいえ、
やはり、深刻な病名を聞くと、皆さん一様に、

<どんなに不安な時間を過ごされたことでしょう!>
そう言うていただいたのですが、

実は、この1ヶ月の間、ほとんど病気について
というか、自分について、じっくりと考える時間は、
あらへんかった、

いうのが正直なとこで、

告知を受けて、まず考えたのは、
入院しているあいだ、うちはどうすればええんやろう。。
いうことでした。

買い物は? 食事は? 洗濯は?
訪問看護の回数は急に増やしてくれはるやろか。。
長期になる可能性もあるわけやから、
洗剤やおむつ、トイレットペーパーなど、
沢山買い置きしとかんと。。
母のお世話の手順を一覧表にして、まとめておかんと。。

月末のお支払いは、どうしたらええやろう。。
お隣さんに、鍵を渡しておくべきなんかどうか。
高齢者だけの世帯になるのを、
交番に伝えておくべきなんかどうか。。
連絡は、誰にまで、どこまで、したらええんやろ。。

考えんとあかんことは山積みで。。。

自分が留守にするあいだの、
家のなかの段取りを考えたり、
家事を、あちこちに頼んだりしているあいだに、
あっという間に、1ヵ月が過ぎてしもて、

自分の命やとか、人生やとか、について、
ゆっくりと考える時間が
実際、ほとんどなかったため、そのおかげで、
<怖くて、不安でしょうがない>
いう経験は、おかげさまで、せずにいられたのでした。

長いこと、自宅で親を介護してきていて、
<良かった!>と言えることは、正直、
そうそうはあらへんけど(笑)、

今回ばかりは、
心配したり、お世話したりせんとあかんひとがいる、
いうことに、実際、大いに、助けられたのでした。

ひとの頭、いうのは、どうやら、
具体的なことと抽象的なこととを
一度に、同時に考えたり、悩んだりすることは
できひんような、そういう仕組みになっているようで、

今回のように、具体的な心配と、抽象的な悩みが、
いっときにやってくるような事態においては、おそらく

具体的なことのほうが、自然と、優先されてしまうように
ひとの頭は、なってるんやないかと、思います。
少なくとも、わたしの頭は、そういうふうに働くように
なっているみたいで(笑)

その意味では、母上に、<おおきに!!助かりました!>
と感謝せんと、あきません。

そして。。。
おかげさんで、なんとか手術が無事に終わってくれて、
病院のなかで、退院に向けてのリハビリを続けている頃、

その頃になって、ようやく、抽象的なことを考えられる
ようになったみたいで、ひとの命とか、人生とか、
ほんまの幸せとか、そんなことをあれこれと
思い巡らしたりする時間を持つことができました。

人間いうのは、誰しも、昔からよう言われてるように、

自分の命も、<澱みに浮かぶうたかた>のひとつであり、
いつかは、波間に消えてしまうものやと、
頭ではそうわかっていても、

それは、まだ、どっかの、誰かさんに、
遠いところで起こるお話、
そんな漠然とした感じでしかなく、

いざ、自分のいのちのタイムリミット、いうもんと
具体的に向き合わざるをえないような現実に出遭って
初めて、

命に限りがあるということ、生きる、ということ、
今、自分が生きていることの意味、について
ほんまに、真剣に、考えるようになるんやと、思います。

手術のあと、痛みと吐き気がなかなかおさまらず、
上の点滴から下りてきた管やら、自分のおなかの中から
出てきてる管やらがゴチャゴチャになって交錯したまま

寝返りも打てず、ずっと上だけを向いた状態で、
病院の白い天井と時計の文字盤を眺めて過ごしていた
術後の3日間は、なかなかしんどい体験でした。

しんどいなぁ~
そう思いながら、天井を眺めていたとき、
ふと、思い出したのです。

母が5年前に、うちで転んで骨折し、
病院で寝たきりだったときのこと。

あのとき、実に、3ヶ月を超える期間、
今の自分と同じように、
母は、ずっとただ、上を向いた状態で、
寝たきりで、病院の天井を眺めて、過ごしたのでした。

あの時は、なかなか熱がひかず、
しかも、まだ残暑厳しい9月の初めだったので、

寝巻きが汗だくで、1日に3度着替えをしても、
おっつかず、毎日、汗びっしょりになりながら、
ただただ、ひがな一日、病院の天井だけを
眺めて、過ごしていました。

それでも、毎日、病院へ行くと、
汗びっしょりで、真っ赤な顔をしながらも
いつも笑顔で、ニコニコして迎えてくれ、

大丈夫かと、問えば、必ず、
<ぜんぜん、だいじょうぶ~!>と
いつもの返事が返ってきてました。

結局、この病院には、5ヶ月ほど、入院することに
なったのですが、その間、母を見舞って、
母の口から、文句や愚痴や悪口を聞いたことは
一度も、ありませんでした。

白い天井を眺めながら過ごした3日間、
もしも母がまだ元気で、病院に来ることができてたら、
私なら、どれほど愚痴や弱音や文句を、
吐き続けたことでしょう。目に浮かぶようです(笑)

天井を眺めているうちに、その母の入院時のことを
思い出し、

<お母さんは、エライ!もしも無事退院できたなら、
 母上、あなたのことを、これからは、<師匠>と、
 そう、呼ばせていただきます!>

と、繰り返し思ったものでした。(笑)

そういえば、
ずっと後になってから、この時期のことを母に
尋ねてみたことがありました。

あの、3ヶ月の間、ただただ、病院の白い天井を眺めながら
いったい何を考えて過ごしていたのか。。。と。

<へっ?!何って。。。
 な~~~んにも、考えてまへん。
 考えてたら、人間、おかしいなってしまいますワ(笑)

 ああいうときは、な~~~んにも、考えへんのが
 ええんだす。

 どうにもならへんときは、な~んにも考えんと、
 笑てたら、よろし。

 考えてもしゃ~ないことは、考えてもしゃ~ない、
 そうどすやろ?>

確かに、そうどす、
考えてもしゃ~ないことは、考えてもしゃ~なおす、
師匠。

考えてもしゃ~ないときは、な~んにも考えんと
笑うて過ごすことに、
まさに、今、そうさせてもろてます。(*^_^*)

No.123 得意なことは。。。

<お母さん、お母さんは、なにが得意なんでしょう?
 お裁縫?お料理?>

と訪問介護の看護師さんに尋ねられると、

待ってました!とばかり、満面の笑みで母が答えます。

<得意なことは。。。。腹筋!。。。腹筋どす!>

<へっ?腹筋って。。。。あの、腹筋ですか?>

と、不思議そうな顔をされると、

<今、やってみたげまひょか?!
 ちょっと待っとおくりゃすな。。。>

とごそごそと身体の上にかけてある
リラックマの大判タオルを脇へどけるなり、

<ほな、いきまっせ!
 い~ち、に~、さ~ん、し~~い。。。>と

掛け声にあわせて、頭をおなかにむけて曲げ始めます。

<へぇ~、すごいですね~~!!!>と
驚いた風で最初は見守っていた看護師さんも、

その数が、20を超えるあたりになると、
しだいに、心配そうな様子で、

<もう、よろしいえ。
 よう、わかりましたし、もうそのへんで。。。>

と、母に、終了を促すものの、

それには、まったくお構いなしに、

<さんじゅいち~、さんじゅ~に~。。>と

ひたすら、数を重ねていく母。そして、ひたすら
<もう、じゅうぶんです、じゅうぶんです>を繰り返し、
慌てる看護師さん。

お母さん、いったい、どこまでやるつもりやの。。と
はたで見ていると、突如、

<ご~じゅ~!!>と、ひときわ大きな声で数えたあと、

どうやら、本人、気がすんだようで、
<はい!おしまい!!>と、
ようやく、腹筋運動がストップと、あいなりました。

そういうたら、ずっ~~と昔にテレビのCMで、
明らかに高齢のおじいさんが、
ひたすら鉄棒にぶら下がって回り続ける、
というのがあったように、記憶していますが、

ひたすら腹筋を続ける、80歳のおばあちゃん、
いうのも、ひょとしたら、シリーズもんで、
採用されるかもしれへんなぁ。。。などと
のんきに考えていたところ、

ようやく腹筋が止んだことにホッとされた看護師さんが

<多すぎます!!いくらなんでも!!
 リハビリの先生に、言わんとあきません!!
 50回もせえって、先生が言わはったんですか?
 それやったら、先生にもっと減らしてもらはらんと!>

と、あきれてものも言えへん、という風に、
私のほうを、向いて、強い口調でおっしゃったもんで、

もちろん、50回せよ!などという指示を先生が出された
わけではなく、本人が、かってにチャレンジしていたら、
なぜか、50まで行き着いた、ということなので、

その後、リハビリの先生から、あらためて、言うてもらって、
20回して、いったん、休んで、それから、また20回、
で終わり、と、母を説得してもらった次第であります。

それにしても。。。
50回って、できるもんやろか。。と一度、私も
ベッドの上で試みたことがあったのですが、

恥ずかしながら、20回過ぎたあたりからもう息切れ、
という有様で。。。それに比べて、

母はというと、50回、最後まで、さすがにほっぺは
次第に、<ゆでだこ>の赤みに近づきつつありますが、
表情は、最後まで、ニコニコ笑顔のどや顔、で。。。

昭和ひとけた、小学校時代に戦争を経験した世代には
ヤワな私などは、とてもとても、敵うものではありません。

それにしても、不思議なんは、

週に1回40分、リハビリの先生が来られたときに
一緒にやっている以外に、ふだん母が、部屋でひとりで
腹筋運動をしている姿、というのを、実は私は、
まったく見たことがありませんで。。。

それで、いつぞや、尋ねてみたんです、
なんで、そんなに腹筋が強いのか、
いつ、そんな運動をしてるんか、と。

そうしたら、母曰く、

<なんも、してしまへん。
 そらあんた、運動なんか、なんもせんでもええんです。

 毎日、おなかから笑うてたら、自然に、腹筋が
 鍛えられますのんや。
 笑うのが、からだに一番よろしいにゃ!

 あんたも、毎日、笑うて、暮らしなはれ!>

ほんまかいな。。
笑うてるだけで、腹筋50回、できるように、
なるんかいな。。。

と、そのときは、半信半疑でいたわけですが。。。

先日、テレビを見ていたときのこと、
あるお医者さんが、こんなふうに
話しておられたのです。

<人間が、ストレスとうまくつきあおう思うたら、
 いつもリラックスした状態でいることが大事で、
 そのためには、毎日この3つを実践するべし!>

ひとつは、<良い姿勢>を保つこと。
前かがみにならんと、座ってても、立ってても
いつも、ピン!とした姿勢を心がけること。

そして、ふたつめは、<深呼吸>をすること。
1日に数回、ゆっくりと深呼吸をして呼吸を整えること。

ほんで、最後の、みっつめは、<笑顔>でいること。

笑うと免疫が高まって、とても身体にいいそうなのですが、
なにも、ほんまに笑わんかって、ええそうで、

ほんまは全然楽しうのうても、
とにかく<ふり>でええさかい、
口角を上げて、笑顔を作ろう!とするのでええそうです。

日々の暮らしのなかで、いつもこの3つを心がけることで、
自律神経が整い、更年期の悩みも、改善するそうで、

またまた、<笑うこと>がいかに、心身に良いか、
を教えてもらった次第なのでした。

そして、昨日、またまたテレビを見ていたときのこと、
<いのちの輝きスペシャル>とかいう特集のなかで、

小さい時に、病気のために喉に穴をあけて、
呼吸を確保せんとあかんかった女の子が、

もう二度と喋ることは無理やろうという、
お医者さんの予想を、見事に裏切って、

自力で声を出す方法を、からだが自分で見つけ出し、
声を出して、みんなと話ができるようになった、
という、奇跡的なお話が紹介されていました。

長い闘病生活のあと、学校でも、喉のせいで
いやな思いをすることも多々あったそうなのですが、

彼女は、いつも、とても明るくて、今はクラスの
ムードメーカーなのだそうです。

その、ものすごう<頑張り屋さん>の女の子が、
お母さんと川岸を散歩しながら、つぶやくように、

<人間、生きてさえいりゃ、なんとでも、なるけん!
 生きとったら、それでええ。。。

 笑っても一日、泣いても一日、なんやけん、

 笑う門には、福来る、とかも言うやろ?
 そやけん、 なにがあっても、
 笑ってりゃ、いいんやない?

 笑っとったら、きっと、なんとかなるけん!>と。

腹筋を鍛えたい、というわけではないけれど(笑)
口角を上げて、姿勢を正して、深呼吸して、
大きな声で笑って暮らそうかな~
そう思うて、母に、

<お母さん、
 私もこれから、一日中笑てることにしますわ!>

と、勢いよく宣言させてもろたところ、

<ふむ。。。そら、ちょっとアホみたいどすな。。。>

と、冷めた口調で、バッサリ。

あ~、もう、いったい、どうしたらよろしいの?!(*^_^*)

No.122 幸せやわ~!

<幸せやわ~!
 年いってからこんな幸せがあるやなんて、
 思うてもみませんでしたわ~!あ~幸せどす!>

シャワー浴が終わって、恒例の体重測定も無事に
増減なしでクリアした母が、ベッドに文字通り
飛び乗って、ひと言。

そっちは、幸せやろけど、こっちは地獄どす。。
と小さな声でつぶやきながら、
どんな顔して、言うてはるんやろうと、
のぞきこんでみると。。

これ以上はなかろうという、満面の笑み。
しかも、シャワーのあとで、ピンク色のほっぺが
ほんまに、幸せそのものの、ご様子で。。。

そんなに喜んでもらえるのなら、
子供としても、介護のし甲斐があるというもの、と
日頃、困らせられているあれやこれやを一瞬忘れて、
つい、こちらも笑顔になりそうになった、まさにそのとき、
信じられないようなお言葉が。。

<あんたも、ストレス、ためたらあきまへんえ!
 テレビで、やってました。
 どっこも悪うないひとが、ストレスのせいで、
 あちこち痛うなったりしゃはるんやって。。。
 あっちこっち病院行かはっても、わからへんかって、
 大きな病院で調べてもらわはったら、
 ストレスのせい、いうことで。。

 あんたも、ストレス、ためんようにせんと、
 病気になりまっせ!>

ストレスためんように。。。。って、
その、あの、どう考えても、私のストレスのもとは、
何を隠そう。。。
そなた、汝、母上様では、ありませんか。

その、<ストレスのもと>から、
ストレスためんようにとお気遣いいただいても、
なんとご返答申し上げてよいものやら。。。

そこはもう、<笑うしかない>いうところでしょうか。

というところで、気をとりなおして、

私が最近、気に入っている鼻歌でも歌って。。。と
<泣くな、はらちゃん>というドラマの挿入歌である
<私の世界>いう、とても明るく、かつ、ネガティブな歌
を口ずさんでいたところ、

<それ、その歌、よろしおすな!>と
 途中から、一緒に歌ってくださいました。

<だからお願い、かかわらないで~♪ 
 私のことは、ほっといて~♪>

ほっとけますか?
ほっといたら、また、エライことになりますがな。。
ほっとけやしませんて。。。

そやから、ストレス、たまりますねんって!(*^_^*)

No.121 <〇〇〇の王様>

ある日のこと、

いつものことではありながら、食卓での
ジコチューファーザーのあまりの暴言、
ひとをひととも思わぬ、傍若無人ぶりに、
ついに、堪忍袋の緒が切れて、

<いったい、何様のつもり!!って、
 言いたくもなるわ、ほんまに!!>

<自分のこと、王様かなんかと、
 思てはるんと違う?!>

と、隣にいた母に向かって、
愚痴をこぼしたところ、

ニッコリ笑った母が、ひと言、

<そうどす、お父さんは、 
 裸の王様、どす!>

裸の。。。王様!!

母上、ナイス!です。(*^_^*)

No.120 <敬翁桜>いう、名前やそうです。

 
少し前に、花屋さんの店先のバケツのなかに入って
売られていた、細めの桜の枝。

店員さんに3つに枝を切ってもろて、小さな花瓶に入れて、
母の寝ている部屋の窓際に飾っていたのですが、
その桜の木の名前が、今日わかったんです。

<敬翁桜(けいおうざくら)>、言う名前なんやそうです。

早咲きの桜は、とても小さくて、可憐な花を咲かせてくれて、
葉桜となった今も、その若葉のみどりが、ひと足早う
母の部屋に、<春>を連れて来てきてくれたようです。

葉桜になってかなり経ったあとも、捨てようとすると、
母は決まって、小さい花びらをそっと指で愛でながら、
<まだまだ、捨てたらあかんえ。。
 こんなに可愛らしい咲いてるんやさかい。。>と言って、
愛おしそうに、眺めています。

たとえば、飛行機でも、長い間、空を飛んでいると
<金属疲労>いうて、羽やらエンジンやら、どこぞは
悪うなっていくように、人間も、

年を重ねていったら、
だれしも、長いこと使うてきた身体やさかい、
どこかしら、具合が悪いところが出てくるもんやけれど、

かといって、誰も、自ら好んで、子供らや、周りのひとに
<迷惑をかけたい>と思うて、そうなるひとは、
ひとりも、やはらへん、と思います。

長生きしてしもて、なんや申し訳ないことで。。。
早う、お迎えが来てくれたら。。。

そんな言葉を、お年寄りから聞くにつけ、
また、たとえ言葉にはしゃはらへんでも、
そんな表情を、目にするにつれ、

いつも、やりきれへんような想いになることが多かった、
そんなときに、この桜の枝に、出遭うたのでした。

<敬翁桜(けいおうざくら>、
翁(おきな)を敬う(うやまう)桜、

可憐で、控えめやけれど、そこにあるだけで
ほっこり、できるような、優しいお花です。

私らを、この世に送り出してくれはった、そして
昭和の初めから、長いこと、ずっと頑張り続けて
きてくれはった、おじいちゃん、おばあちゃん、が
あってこその、私らの今があるんやさかい、

長生きしてくれて、ずっと頑張って生きてきて
くれはって、ありがとうございます、と

なかなか言葉にしては伝えられへんさかい、
代わりに、<敬翁桜>をお部屋に飾らしてもらいます。

おもてで桜の花が咲くのは、
まだもう少し先やけれど、
それまで、元気でもうちょっと、頑張ってな!

と、お願いする気持ちも込めつつ。(*^_^*)

No.119 <165>を足していったら。。。

<そろばん、貸したげまひょか?>

家計簿をつける時に、いつも使う電卓が
そこらへんに見あたらへんかったもんで、
しかたのう、チラシの隅っこで、モソモソと
筆算をしていた時のこと、

いつもご飯を食べてはる指定席の隣の戸棚を開けて、
母が、15センチほどの、可愛らしい白い玉のそろばんを
出してきてくれました。

そろばん?! あ~、懐かしや!

そろばん。。。って、
小学校のときには確かに習っていたのですが、
中学へあがるのと同時に、近所にあった
そろばん教室をやめてしもうてからは、
まっ~~~~たく手にしたことがない、まさに、
ウン十年来、手にしたことがなかったんやけど。。。

<ほれ!これで、計算しゃはったらよろし。貸したげます。>

とニッコリ笑顔で、手渡されたもので、せっかくのご好意、と
さっそく、家計簿の今日の出費を、足し算してみました。

すると、

人間いうのは、ほんまに不思議なもんで、
何十年ものあいだ、ぜんぜんやったことのないことでも、
身体がいったん、覚えたこと、いうのは、
時間がたっても、ちゃんと、思い出すもんなんやな~と

頭はまったくなんにも考えてへんのに、
次々と指が動いて、足し算をしていくのに、自分でビックリ!

しかも、電卓よりも、うんと、楽なこと、楽なこと。
いちいち、+を押さんでもええし、
なんせ、な~んにも考えんでも、ただ指がパチパチ動くのに
任せてたら、それで、答えがでてきました(笑)

<えらいもんどすな~、こんな長いことしてへんでも
 ちゃんと覚えてて、できるもんなんやねぇ。。>

としきりに感心しながら、1月の大幅に予定をオーバーした
家計簿の食費をひたすら足していると、

<そらそうどすわ。
 一回、自転車乗れるようになったら、一生、乗れますやろ?
 そろばんかて、同んなじことどす!>

と得意げに話していた母から突然、

<そや!あんたはん、165、足していってみなはれ。
 そのそろばんの左から3つの玉のとこで、165、165、
 いうて、どんどん足していってみなはれ。>

との業務命令(?)が。

<165?? なんどす、それ?>

<ええから、とにかく、足していってみなはれ!
 そしたら、しばらくしたら、
 99と、9がふたつ左に並びまっしゃろ?
 そしたら、また3つ右へいったとこへ、165、165いうて、
 足していくのす。。そしたらまた99と9が並びまっしゃろ?
 そしたらまた右にズレて。。。
 ほんで、そのそろばんの端まで、9がずっ~~と並ぶまで、
 足していくんだす。
 最後のひとつは、0やけど、おおかた、9になりまっしゃろ?
 ほんなら、おしまい!>

と、ニッコリ。

たしかに、言われたようにしていくと、そろばんの左の端から
どんどん9の玉が並んでいきます。

<へぇ~~!!面白いもんやね~!
 こんなこと、どこで聞かはりましたん?>

と尋ねると、いつものあのおもいっきり<ドヤ顔>で、

<そんなもん、ワタシは、大昔からわかってますのんや。
 毎日、ひとつ前の端まで9が並ぶまで、ずっと
 165、165いうて、足してまっせ。>

<へっ?? このそろばんで? いつ?? なんで??>

<そのそろばんで、どす。いつて。。。
 そら、あんたはんのやはらへんときに、どす。

 まぁ。。。ボケ防止いうか、
 指が動かへんようにならんように、いうか。。
 そんなんで、やってるんどす。>

<毎日?>

<へぇ、毎日。あんたも、やってみなはれ、面白おっせ。>

なるほど。。
いつも座る指定席のそばに、なにやらゴチャゴチャと
置いてあるのは、そういうワケやったんどすか。。。

ふ~ん。。これやから、年配者の言わはることには、
耳を貸さんとあきまへんなぁ。。。
思いがけず、こんな<ボケ防止&手先の運動>対策が
聞けるやなんて、

計算が面倒になったら、つい、PCで、エクセルを開いて
パッと瞬時に答えを出してもろてるワタシには、
とても新鮮な体験でもあり。

ほんまは、
<ほんで、ボケ防止の効果は、如何に?>と、効果のほども
お尋ねしてみたい気もチラッとしましたけど(笑)
それはまぁ、遠慮しておいて、

今日から、ワタシも<家計簿は算盤派>に
転向させてもらいます。

もちろん、ボケ防止の165足し算も、
やらしてもらいます(*^_^*)

No.118 護摩木をめぐるお話

護摩木とは、
大文字の送り火のときに、願い事を書いて燃やす細い木、
といえば、おわかりいただけますでしょうか。

実は、大文字に限らず、節分にも、京都のお寺では
護摩木を焚いてお祈りをするのが、年中行事になっています。

で、今年、お町内の役員をしている我が家にも、
2月の節分のときに焚く護摩木を、各家庭に配るように、
とのお達しが、近くのお寺より、下されました。

1本150円の護摩木を買って、各人が願い事を木に書いて、
お寺にお渡ししておくと、節分のときに、焚いてもらえて、
願い事がかなう、という次第です。

ここまでは、毎年恒例のことなのですが、今年になって
ひとつ、初めての出来事がありました。それは。。。

いつもなら、護摩木に書く<願い事>は、各人がそれぞれに
考えて書く、いわばまったく内容も言葉も自由だったのですが、

今年は、購入した護摩木と一緒に、こういう言葉を書くように、
という<祈願リスト>がついてきたのです。祈願リストには
こういった場合によく目にする、四文字熟語等がずらずらと。。

 無病息災、交通安全、家内安全、良縁成就、一発合格etc…

まぁ、無難なところで、無病息災かなぁ。。などと思いながら
リストを目で追っていたところ、もうリストも終わりかけた
最後の行に、控えめな感じで、ナ、ナ、なんと、
驚くべき、ひらがなの四文字がそこに!! 

       ぽ っ く り

と、あるではあるではありませんか。

実は私、数ヶ月前に、自分の住んでいる街に<ぽっくり寺>
なるものがないかどうか、検索してみたことがあったのでした。

もちろん、あれば、お参りにいく所存で。しかし、残念な
ことに、京都には、<ぽっくり寺>なるものが、ただひとつ、
うちからは遠~い地域にあるだけだったので、やむをえず、
お参りを断念した、という経緯があったのですが、

それが、思いもかけず、こんなかたちで、節分の祈願として、
果たせるとは。。。

思わず、その4文字の上に、<はなまる>を、付けました。

とそこへ、護摩木に自分の願い事を書き込もうと、
歩行器でヨチヨチと母が、やってきました。

<自分で書かへんかったら、
 神さんが叶えてくれはらへんのどす。>

そう言うて、昔から自分で、護摩木を書いているもので、
今日も、護摩木を一本、ぐっと握りしめたまま、

<こんなかから、どれか、選んだらよろしの?
 ほな、どれに、しましょ。。>

と言いながら、例の四文字熟語でいっぱいの
<お願い事リスト>を真剣な目で追う、母。

何を迷うことがありまっしゃろ。
そこの<はなまる>が見えへんのどすか? 
ちゃ~んとしるし、付けといてあげてますやろ、ほれ。

それに、決まってますがな! その<ぽっくり>に!
いったい他に、どんな願い事があるというのでしょう。。。

と、はなまるのついた<ぽっくり>を横からペンで、
ツンツンと突っついて、母に注意を促してみるも、

<あんたはん、ぽっくり、に、しゃはりましたんか?
 わたしは、ひとと同じ、いうのは、好かんのどす。
 違うのにせんとアカン。。>

と、あろうことか、<ぽっくり>をスルーされました。

ええっ!なんで?!おんなじでも、よろしいやおへんか!
なんであかんの??同じやったら、きいてもらえへんの??

いやいや、なんとしても、神さんにきいてもらわんことには。。。
なんとかせんとアカン。。。と考えた末、

<お母さん、ほな、わたし、<超ぽっくり>にしますわ。
 ほな、同じには、なりまへんさかい、大丈夫どす!
 ほんで、お母さんは、<ぽっくり>にしゃはったら。。。>

<超?? ちょ~ぽっくり??>

<そうどす、超ぽっくり。。。>

<ふむ。。。>
と、一瞬考えてくれはったように思ったのもつかの間、

<あきまへん。。。そんなんで神さんは、誤魔化されはらへん。
 いやどす。他のにします。>

と一蹴。したかと思うと、<ぽっくり>の後に続くリストを、
ずっ~~と目で追い続け、もうリストもおしまいになろうかと
いう、まさにそのとき、

<あっ、これ!これでよろしいわ。。なんでもええけど、まぁ。
 これにしときますわ>

と、母が指差したお願い事が、ナント、

     <長 寿>

マジかよッ!!(*^_^*)

<お母さん、もうこれは、願い事が叶うてしもてますやろ?
 頑張って、長生きしてくれてはりますやないの。
 これから、叶うてほしいもんを書かんことには!>

と、いいながら、母の指を持って、ずずずっ~~~と
<ぽっくり>さんへの方向へとさりげなく動かしていくと。。

その甲斐があってか、あるいはもう、面倒くそうなって
決めはったんかどうか、わかりませんけど、おもむろに、

<ほな、やっぱり、これでよろし。ぽっくりで。>と。

そうでっしゃろ!そうでっしゃろ!そう来なくては!

<へぇ。ほんなら、私は、、超ぽっくり、言うことで、
 よろしおすな?>

と、念押しをして、護摩木をめぐっての騒ぎは、無事
一件落着と、あいなったわけです。

いやはや、それにしても。。。

元気なときは、こんなふうに笑い話にしてしもてますけど(笑)
数年前、入院先の病院で転倒して、かなり危険な状況も
考えられたときには、

連絡をもろて、仕事先から病院に駆けつける道すがら、

<どんなふうにでもええさかい、神様、どうか
 お母さんをまだ連れていかはらんといてください!!>と

一心に、お願いし続けたものでした。

ひとのこころ、いうのは、ほんまのとこ、自分でも
よう、わからんもんです。(笑)

先のことは誰にもわからへんことやし、また何がええこと
なんか、いうのも、最近では、ようわからんようになって
しもてますど、

どうか、神さま、

日々、介護に励んで、神さまの管理されている<徳貯金>の
通帳に、コツコツと徳を積んでおります私ゆえ、どうぞ
私の願いは、叶えていただきたく、お願い申し上げます。

超、ですぞ! 超を、お忘れなきよう。。。
なにぶん、母ほどの根性を持ち合わせておらず、、
痛いことに、ほんまに弱いもんで。(*^_^*)

No.117 き~ちゃん、こっち、おいで!

<き~ちゃん、はよ、こっち来なはれ!!>

と、ベッドわきの母が、満面の笑みで、
<こっち、こっち!>をしています。

こういう表情のときには、決まって、
なにやらよからぬことを考えているに決まっている。。。

というか、そもそも、

<き~ちゃん>って、誰どすの??!

うちには、そんな名前のもんは、誰もやはらしませんし、
明らかに、今、ウチのなかにいるのは、母上のほかには、
私だけやし。。

ひょっとして。。。
わたしが<家政婦のミタ>のあの本田望結ちゃんに
似てるから?。。なんてことは、あるはずもなく(笑)

<なんどすの、その<き~ちゃん>いうのは?>と

尋ねてみたところ。。

<ワタシ、考えましたんやけど、あんたのこと、
 今日から、<きーちゃん>いうて、呼ぶことにします。>

はぁ。。。

まぁ、きーちゃん、でも、かーちゃんでも、
なんでもよろしおすけど。。。

ただ、なんで<き~ちゃん>いう名前になったんかは
気になるさかい、教えとうくりゃす。

<知りたおすか? ほな、言うたげましょか?
 なんで、きーちゃん、言うか、いうたら。。。

もったいつけんと、早う、言いなはれ。

<あんたは、朝から晩まで、キーキー、キーキー、
 怒ってはりますやろ? そやし、<キーちゃん>どす!>

と、ニッコリ。

お言葉ですけど、母上、たしかに、よう怒ってはおりますけど、
朝から晩まで、怒っていた。。いうお覚えは、あらへんのどすけど、と
無駄な抵抗を試みるも、

<にんげん、自分のことは、わからんもんどす。
 朝から、晩まで、キー、キー言うてはりまっせ。>と
いつものごとく、やんわりと、受け流され。。

と、そこで、ふと思いたって、

<そやけど、朝から晩まで怒ってはるおひとは、
 うちには、もうひとり、もっとスーパーなおひとが
 やはりますやないの??

 あちらさんは、ほな、どうなりますの?>

とためしに、父のほうへ目線を送りながら尋ねてみたところ。。

<ふむ。。。>としばし、考え込んだご様子の後、

<そや! ほな、あっちが、<1階のきーさん>
 ほんで、あんたは2階に住んではるさかい、
 あんたのほうは、<2階のきーちゃん>いうことにします。>

ということで。。。

本日より、<2階のきーちゃん>を拝命いたした次第で
ございます。(笑)

まぁ、一生のうちに親から、ふたつも名前を頂戴する、
いうひとも、なかなかやはらしませんやろし、
ありがたく、頂戴しておきます。

が、母上、

そんなに、キー、キー、怒ってますやろか、私。。
ほんまに、自分だけわかってへんのやろか。。。

う~ん。。。なんだかなぁ。。。
今年は、怒らんとこ。。。。。。あんまり。(*^_^*)

No.116 <介護の日>と<二度わらし>

11月11日は、<介護の日>いうことになってるらしい、

と聞いて、自分であれやこれやと考えてみたのですが、
なぜこの日が、介護の日なのか、とんと思い浮かばず、
母に、尋ねてみました。

<お母さん、11月11日は、介護の日、らしおす。>

<へぇ~、そうどすか。>

<なんで、11月11日なんやろ、知っといやすか?>

<へっ?!そんなもん、知りますかいな!>

と、テレビの韓流ドラマに夢中の母からは、
いつもの、つれないお返事が。

その後、来られた訪問介護のスタッフさん達にも
尋ねてみたのですが、

<へぇ~、今日がそういう日なんですか?
 知りませんでした。>

とご存じなかったので、
まぁ、そんなに世間さんに認知されてる日でも
あらへんのかな、と、その件は、すっかり忘れて
いたのですが、

翌朝、母のお世話にお部屋にうかがったところ、
開口一番、満面の笑みで、

<わかりましたえ、あんた!!>

<おはようさん。何が、わかったん、どす?>

<なにがて、ほれ、昨日、言うてはりましたやないの!
 介護の日、がなんで、そう言うか、言うて。
 あんたはん、たんねてはりましたやろ?>

<あ~、そのことどすか。。もう忘れてましたワ。
 ほんで、わからはったんどすか?>

<へぇ!昨日の晩、ずぅ~~と考えてましたんやわ。
 ほんでわかったんどすけど。。。>

またそんなことを。。
昨日の晩は、早うから、いびきかいて、グーグー
寝てはりましたやおへんか。(笑)

まぁよろし。ほんで、なんでかと、母が言うには、

<ほれ、11月11日、て、書いてみなはれ、
 1が4つ、続いてますやろ?
 これはな、ひとが、並んで、寝てはるとこ、どす!

 みんな、寝たきりのひとが並んではって、
 順番に、オシメ替えたげたり、しゃはるんどすわ!
 ほんで、この日が、介護の日、いう名前になって
 はんのどす!>

と、顔の前まで近づいてきて、ドヤ顔。

<ピンポ~~ン!! 正解!!!>

と、言うてあげとおすけど、お母さん、なんというか
その発想は、どこからくるんでっしゃろ。

私もいろいろ考えてはみましたけど、それはまったく
思いつきませんでした。

<絶対、そうどす! それしかあらしません!!>
と、確信に満ちた声で、うん、うんと、ひとりうなき、
ベッド上で、高齢の、いや、恒例の両足テクテクの
リハビリ体操にさっさと突入されました。

その後、ネットで調べたところによると、
この<介護の日>いうのは、平成20年に、公募によって
決定した日らしく、11月11日になったわけとは、

<いい日、いい日、毎日、あったか介護をありがとう!>

の<いい日、いい日>にかけて、11月11日だそうです。

あ~そういうことやったんか、と、さっそく母の元へ。

ほれ、お母さん、言うてみなはれ、ええ言葉どっせ、
<いい日、いい日、毎日、あったか介護をありがとう!>
これ、毎日、寝る前に言わはったら、どないどす?

と、もちかけてみたところ、

<ふむ。。なんやようわからん日どすな。。
 そんなん、絶対、言わしまへん!!>とのお返事が(笑)

まぁ、期待してませなんだので、結構どすけど(笑)

ちなみに、東北地方に住んでいるお友達によりますと、
あちらのほうでは、年をとって認知症の症状が出始めたり
したお年寄りのことを、<二度わらし>と呼んではる
そうです。

もいっかい、子供にもどって、いろいろできひんように
なったら、みんなに手伝うてもろて、見守ってもろて
毎日暮らすから、

やそうです。
なんとのう、あったかい呼び方に思えて、私は好きです。

こんどからジコチューファーザーが、またいつもの探し物を
始めはったら、<二度わらしちゃん>と呼んであげることに
しませう。

ちなみに。。。
<二度おとめ>いうのは、あらへんのやろか。
人生の最後に、もいっかい、乙女にもどる、とかいうの(*^_^*)

No.115 <500円玉貯金>をめぐるお話

<いったい、いつまで探しとるんや!
 なんでもええ、言うてるやないか!!>

階段を下りていると、例によって、父の怒声が。

思わず、足早になってリビングに向かうと、

母が、なにやら、キッチンで、リーチャー、
(マジックハンドのような、落ちたものを拾うための道具)
を文字通り、振り回しながら、

<あと、もうちょっと!!>
<あっ、いけた!。。と思うたら、蓋が!!!これっ!>

と、歩行器から身を乗り出して、
台所の一番下の引き出しを開けて、中から
空き瓶を引っ張りだそうとしている、ところでした。

<また、何、してはりますの??>と、私。

<へっ?! 何て。。あんた。。。瓶が要りますのんや。。
 お父さんが、なんぞ500円玉を入れるもんがないか、
 言わはったさかい。。>と母。

もう~、言うてくれはったら、私が取りますって!
そんな低いところは、おひざがぜんぜん曲がらへんのやさかい、
取れしませんやろ?

また、キッチンで、前みたいに、
すってん、ころりん、と、コケはったら、えらいことどっせ!

そう言いながら、引き出しの中を探しているあいだに、
ふと、思い出しました。

この前、100円ショップに行ったときに、可愛らしい透明の
クマさんの貯金箱があって、めいっぱい500円玉を入れたら、
5万円になる、と、たしか、書いてあったような。。。

<お父さん、500円玉用の貯金箱が、100円ショップにあります
 さかい、今から行くところやから、買うてきたげましょか?>

そう言うと、

<そんなもんがあるんやったら、はよ、買うてこい!!>

そういいながら、手元にあった500円玉のうちから、
1枚をポイッとこちらへ。

では、さっそく、100円ショップへ。。。
と、向かう前に、ふと気になったもんで、尋ねてみました。

<お父さん、500円玉そんなに貯めて、どうしゃはりますの?>

<どうて。。お前には、関係ない!!
 これは、〇〇ちゃんが来たときに、渡すのに貯めてるんや!>
 (〇〇ちゃんとは、もう何年も、うちへ来ゃはったことのない
  彼の、お孫さんの名前です)

さらには、

<お金なんぞ、いくら持ってても、しゃ~ない、
 人間は、お金持って死ねへんのやからな!!
 なんぼでも、〇〇ちゃんに、あげられるだけあげたらええんや!>

とまで。

<ふ~ん、そうだすか。。。>と

なんとのう、しっくりしないままの気持ちで、それでも
100円ショップへとチャリンコを走らせ、

お望みどおりの、500円玉貯金箱2コを買ってきて、
父に手渡したところ、

<これか、ふ~ん、変わったもんがあるもんや。>と

さっそく、透明な貯金箱にせっせと、500円玉を詰め始め。。
たもんで、晩ごはんの用意に、キッチンへ向かおうとしたところ、

<おいっ、待て!!!>と背中に、父の声が。

やっぱりな、さては、お礼のひとつも言わんとと、
思たのかしら。。。と、振り返ったところ、

<お前にさっき、500円、渡したやろ?
 おつりの、300円は、どないなってるんや?!
 まだ、返してもろてへんぞ!!はよ、300円!
 ひとが忘れてるかと思うて。。ほんまに
 なんちゅうやっちゃ!>と

私に向かって、パーの手を差し出されました。

あのう。。。
お金なんぞ、いくら持っててもしゃ~ない、
そうさっき言うてはったやないですか!!!
(いくらも、あらしませんけど、それはさておき)

〇〇ちゃんになんぼでもあげる、言うてはりましたや
おへんか!!!

そこに5万円分、貯まってますやおへんか!!

そやのに、300円のおつりさえ、返せとな、もし。。

あ~、もうホントに、何をおっしゃる、うさぎさん。

<いくら親子の間でも、こういうことはやっぱり、
きっちりしとかんと、あかん、金額の問題やない!>

いや別に、300円が欲しかった、いうわけやあらへん
のやけど。。

なんか妙~~に、こう、わりにあわへん気がするのは。。

なぜ?!(*^_^*)

No.114 ラーメン美味しそうどすな~の巻

<この、ラーメン、美味しそうどすな~~!!>

ふと、見ると、母の手に、
買い物帰りに手渡された、近くの公園で開催している
<九条ねぎラーメンコンテスト>なるもののチラシが。。

なんでも、全国から味自慢のラーメン屋さん17店舗が
お店を出して、人気投票で、一番美味しいラーメン屋さんを
競う、というイベントらしいです。

そう言えば、ここ30年近く、救急車で運ばれるか、あるいは
ストレッチャーで緑内障の検査に行くか、以外は、うちから
一歩も出たことのない母なもんで、

もちろん、ラーメン屋さんへ行ったことも久しくなく、
ラーメンといえば、私がうちで作るインスタントラーメンか
もしくは、大好物のチキンラーメンが、母にとっての
<ラーメン>なわけなのですが、

このチラシの17軒のラーメン屋さんのラーメンは、
ほんに、美味しそう!!で、

<ほれ、チャーシューが、こんなに大きおす!
 しかも5枚!?>
<見とうみ、おネギが山のように盛ってありますえ!!>

と、次々と感嘆の声が。。

私はというと、日頃あんまりラーメンを食べへんもんで、
<ふう~~ん、そう。>てな感じで聞き流していたのですが、

しばらくすると、今度は、あろうことか
ジコチューファーザーまでもが、なになに?!と寄ってきて、
チラシを眺め。。。というか、母から、文字通り、ひったくり、

<ワシやったら、これにするな!! いやこっちもええな!>

と、言い出し始めたのでした。

父は別に、歩いていけるわけなんで、
<ほな、ひとりで、食べてきゃはったらよろしいがな。>と

ココロのなかで、呟いていると、それまでチラシを眺めていた
ジコチューファーザーが、突然、母のほうを向いて、

<そやけどお前は、食べに行かれヘンし、気の毒やこっちゃな。
 なんぼ、チラシ見てても、そんなもんしゃ~ないやろ。
 やめとけ、やめとけ。>と

鼻で笑うようなことを、言うモンで、つい、ムッとして、

<お母さん、それ、自転車で買うてきて、あげます!!!>と、
言ってしまったのでした。

それを聞いた父が、間髪要れず、

<ほな、鍋!!!鍋を持っていけ! ラーメン鉢ごと、
 鍋に入れてふたしたら、こぼれへんやろ?!>

続いて、母が、
<サランラップとビニール袋、持って行きなはれ!!!
 ラップして、お鍋に入れて、ビニールで包んで。。。
 ほな、完璧どすわ!!>と。

二人して、ものすごいハイテンションに。。。

それを聞いて、あ~これは、二人して、ハメられたかも。。
と思うたもんの、それはもう、後の祭りで、

自転車の前のかごと後ろのかごに、お鍋をひとつずつ
ビニール袋に入れて、サランラップを積み、かごのなかで
お鍋が動かへんように、そのへんにあるもんを突っ込んで、
お鍋を固定させて、

いざ、イベント会場へ出陣したのでした。日曜日の正午に(笑)

自転車を漕ぐこと15分、イベント会場へ到着してみると、
まず、ラーメンチケットを買わないといけないとのこと。
その列にすでに30人近くのひとが並んでいる。。。

のを見たときに、
その後のことを想像すればよかったのですが、

なにせ、ようできているというか、敵はさるものというか、
チケット売り場に並んでいる段階では、ラーメン会場の
様子がイマイチ、よく、見えない、ので、ありんす。

それで、自転車をひとまず置いて、チケットの列に並び、
ようやく2枚、1500円のラーメンチケットを手にしました。

そして、いざ、あのチラシの母ご指名のラーメン店を
探すべくラーメン会場に向かって、歩き始めたところ。。

なんと、人、人、人!!!!で、歩けない!!
人でいっぱいの会場のところどころ、人波の合間に
<最後尾>というプラカードが、突き出ていて、

お店から、その最後尾のプラカードまでは、ゆうに
100人以上の列が。。。ここに並ぶのか。。。

またこの日は10月半ばだというのに、真夏のような
日差しながら、あわてて出てきたもんで、帽子もなく、
水分補給にいつも持ち歩いているペットボトルもなし。。

とはいえ、自動販売機へ行きたくても、列から離れる
わけにもいかへんし。。。

と、炎天下に50分近く、ただ、列に並び、ぞろぞろと
先頭まで歩き続け、やっと、1杯のかけそば、ならぬ、
2杯のラーメンをゲットしたのでした。

それを両手に抱えて、自転車置き場までおつゆが
こぼれないように、ソロソロと人波をかき分けて
歩くのも、一苦労、

そして、自転車の上に置いたラーメン鉢に、おもむろに
取り出したサランラップを何重にもかけて、
お鍋のなかに、入れ、ふたをし、ビニールで包み、
いざ、出発進行!!

となるまでの全過程を、ラーメン行列に並んで、
暇にしている大勢の皆さんに、じっ~~と見守られて
いるのも、なんとも言えず、プレッシャーであり(笑)

言葉には出されずとも、皆さんの視線が、

<あれ、こぼさんと、持って帰れるんやろか。。>と

言ってるのが聞こえてくるのでありました。
自転車押してる本人が、誰よりも、不安ですワ(笑)

そんななかを、ソロリソロリと、自転車を動かし、
できるだけ、凸凹のない道を思い出しながら、
家路を急いだわけですが、うちに入るなり、母のひと言が
聞こえてきました。

<お父さん、お父さん!!どこにおいやすの?
 ラーメンが、帰ってきゃはりましたえ!!>と。

いやいや、お母さん、<帰ってきゃはったん>は、
ラーメンやのうて、あんさんの娘さん、ではない
でしょうか(笑)

それにしても、サランラップというもんは、凄いもんです。
こぼれへんように、と、慎重に、慎重にと、運転してきた
のにもかかわらず、ラップをとれば、出来立て熱々の
ラーメンが!!

もちろん、大きなチャーシューが何枚も!!
九条ねぎも、器に山盛り!!!
チラシと違わぬラーメンに、お二人とも至極ご満悦のご様子!

これを手に入れるまで、そして、持ち帰るまで、
いかに、苦労したか、をそばで切々と訴えるも、

まったく関心がないご様子で、

<美味しおすな~、ほんまに美味しおすな~>と、
あっという間に、ふたりとも完食!!!

どちらかは、せめて、<お前は食べへんのか?>と
尋ねてくれはるもんやろう。。と思っていた甘い期待は、
完全に裏切られたのでした。

自転車にお鍋は、2つしかのらへんさかい、
しゃ~ないと言えば、しゃ~ない、ことやけど。。
ほんで、もう食べてしまわはったんやし、言うてもせんない
ことやけど、せめて、

<あんたは、ラーメン、いらんのどすか?>と
ひと言くらいは、あってもええんやないですか?
せめて、チャーシュー1枚、なると蒲鉾ひとつ、なりとも。

まぁ、こぼさんと持って帰れたさかい、よろしおすけど
なんかしら、二人して、ハメられた気分どす(*^_^*)

No.113 な~~~んにも考えへんかったら。。。

お昼ごはんのそばメシを、はんぶんこ、に分けたのを
頬張りながら、

 あれは買ったし。。あれはまだええし。。。
 昼からは。。。。

と、頭に浮かぶあれこれについて考えていた、そのとき、

なにやら、えらいニコニコしながら
2日前に100円ショップで見つけた、度なしの伊達めがねを
かけた、オモシロイ顔を私の顔に近づけながら、母がひと言、

<なぁ~、〇〇ちゃん、
 な~~~んにも考えヘンかったら、楽どすえ~~!>と。

<・・・・>

たしかに、この顔は、まぁ、悩んでるひとの顔では
ありまへんな。さらに、

<私ら、な~~~んにも、考えたりせ~へんことにしてます。
 考えても、しゃ~ないことは、考えへんことどす。>と。

その、な~~んにも考えてへんでも、毎日がまわってるのは、

ひとえに、ひとえに、
おそばで、い~~~ろいろ考えてくれてはるひとが、
あってのことどっせ、感謝しとくなはれや!

と、ココロの中では、そう呟いたりしたものの。。。

考えてみたら、人間、楽(ラク)に生きられるんなら、
それにこしたことはなく。。

私も、本日から、母の仰せに従い、
<な~~~んにも、考えへん>といてみて、
どれほど<楽チン>なもんなんか、いっぺん、味あわせて
もらわせてみることに、致します。

な~~~~んにも、考えヘンひとは、
確かに、幸せそうに、笑てはりますもんね(*^_^*)

<そうや、忘れたらあかんさかい、
 今のひと言、録音しておきたいさかい、
 もいっかい、言うとくなはれ。
 心配しそうになったら、これ聴きますし。>

と、携帯を向けると、

<へっ?! そんなもん、いやどす。。
 絶対、言わしまへん!
 一回言うたことは、もう言わへんのどす!>

って。。
な~~~んにも、考えてへんのやったら
もいっかい、言うてくれてもよろしいやないの。(*^_^*)

No.112 笑って、笑って。。。

緑内障でお世話になった大学病院へ、
恒例のストレッチャーでの受診の日。

<まっ、特に変わってはらへんね。>
との先生からの、ありがたいお言葉をいただき、

ホッとして、介護タクシーさんのお迎えを待つ間、
通らはるみなさんのお邪魔にならへんように、
いつものように病院の入り口の端のほう、
柱の陰にストレッチャーを寄せてリュックを置き、
かがみこんで、母と話をしていたところ。。

<あの。。。さっきから見てたんですが、
 ちょっと、いいですか?>と

看護師長さんの名札をつけた、ベテランらしき女性が、
突然、話かけてこられました。

えっ、あっ、通らはるひとの邪魔やさかい、
ストレッチャー、どけて!ってことやろか。。
よっこらしょ!

と立ち上がったところ、その女性は、

ストレッチャーに乗った母のほうへ顔を近づけながら、

<あの。。
 あちらのほうでご様子を見せてもろてたんですけど、
 ずっ~~~~と笑ってはって、とっても元気そうに
 見えはるんやけれど。どっか、お悪いんですか?>と。

へえ、そうどす。。。。と答えようとしたところ、

さぁ、ワシの出番がやってきた!!!とばかりに、
私たちから少し離れたところの、待合室のいすに腰掛けて、
<べっぴんさん>のほうをぼんやりと眺めていた父が、
飛んでやってきました。どうやら話が聞こえていたようで、

<そうどす!家内は、もうぜんぜん座れしまへんのでね。
 腰が悪うて、ほんで、おまけに、ひざも曲がりまへん
 どっしゃろ?
 車椅子にも乗れへんさかいね、こうやって、毎回、
 ストレッチャーに乗せて、私らが運んできて、
 ずっと付き添うてやって、こちらで、目、見てもろて
 まして。。。>

などと、あろうことか、

ストレッチャーを押すのをいつもあたしに押し付け、
<一緒やと思われたら恥ずかしい!>と、いつも
私たちとはわざと少し離れた席に、他人のふりをして
座っている父が、えんえんと、お得意の嘆き節を
ご披露させていただいたりしたもんで、

看護師長さんは、父の話を、ふん、ふん、と聞きながら、

<そうですか~。。それは病院にきゃはるのも、
 ひと苦労ですね~。それにしても、あんまり楽しそうに
 ずっと笑てはるさかい、
 正直、あんまり、そういうひとやはらへんのでね、
 それで ちょっと気になったんで、聞かせてもろたん
 ですけど、それはそれは。。>と、
こちらへ来られた理由を話されたのでした。

ただ、そのとき、私たちには、特に何か面白いことが
あった、いうわけやのうて、だいたいにして、いつも、
母との会話は、<オチ>いうのがあるのがふつうというか。。
普段から、たいていの会話は、最後に、<アハハ!!!>
という感じで笑って終わる、そういうもんやさかい、

あんまりそれが、特別やと思うたことはなかったん
ですけど、あらためて、そんなふうに、ひとから言われて
みると、

そういえば、うちに来てくださる介護スタッフさんも
<少々元気がないときでも、〇〇さんとこに来ると、
 ほんまに笑わせてもろて、元気もらえますワ~>と

よく言ってくださるので、やっぱり、ふつうのうち(?)
では、親娘さんでも、そんなには、冗談言うて笑うて
ばっかり、いうのではないんやなぁと、あらためて
思ったりしたのでした。

また、その、お優しい看護師長さんが
<お気をつけて!>と窓口のほうへと戻って行かれる前、
母が、

<笑うのは、からだによろしおっせ!
 なにより、腹筋が、鍛えられまっしゃろ?
 動けんでも、腹筋、ぎょうさんできますね、わたし!
 リハビリのせんせと、20回してますねん!>と

なぜかここで腹筋自慢をしたもので、看護師長さんも、
大笑いしながら、もどっていかれたのでした。(*^_^*)

そんなことがあって、もうまもなく介護タクシーも
迎えにきてくれはるやろう、という時間になって、

今度は、少し足がご不自由なお母様と、お母様に
付き添ってこられた娘さんのお二人が、そばを
通りかかられたときのこと、

なにやら娘さんのほうが、お母様に、いろいろと
ダメ出しされているご様子。

漏れ聞こえてくる話によれば、

<なんで、それやったら早う、私に言わんかったん?
 ゴソゴソ、ひとりでやってんと!
 私が付いてきてる意味がないやろ?! 付いてきて
 もろてるんやったら、ちゃんと頼んだらええやんか!
 ひとりでは、できひんのやろ?!>

お母様は、黙って下を向いてかばんのなかをゴソゴソと
困ったように、まさぐっておられ、
そのお顔を覗き込むようにしながら、

<ねえ!ちょっと!聞いてんの??!
 私の言うことが、わからへんの??>と、娘さんの
お怒りは、まだまだ収まるようすもなく。。

その二人の会話を、一緒に聴いていた母が、
病院の白い天井を眺めながら、しみじみとひと言、
言いました。

<あ~、うちとおんなじどすな。。かわいそうに。。>

ええっ?!なんどすて???!ちょっと、待った! 
それは、お母さん、聞き逃せませんえ!

<なんで??
 私がいつ、お母さんに、あんなキツイ言い方しました?
 あそこまできつう、してませんやろ?>

すると母は、天井をじっと見つめたまま、

<いいや。。おんなじどす。。
 おんなじか、あんたはんのほうがもっとヒドおす。。
 自分のことやさかい、わからへん、だけどす。>と。

いや~~、そんなことはあらへんでしょう! 
いくらなんでも、あれほどには。。
でも。。。。。言われてみたら、そうなんやろか。。。

と一瞬、自分でも、心もとなくなりかけたものの、

いやいや、そやけど、なんか、なんか違う!!と、
今一度、目の前の親娘さんの様子を眺めてみて、
わかったんです。

そうや!あのお母様は、娘さんからあれこれ言われても、
じっ~~~~と、ただ黙って下を向いてはります。

そやけど、お母さん、あんたはんは、
そうはいきませんやろ?
言うたら、倍にして、返してきゃはります!(笑)
そういうひとやから、また、私も、言いとうなるわけで、

あのお母様みたいに、おとなしい、文句ひとつ言わへん
ようなおひとやったら、もっともっといくらでも、優しい、
してあげまっせ!

ストレッチャーの耳元で、時代劇の越後屋さんさながらの
低い声音でもって、母にそう囁いてみたところ、

<ふむ。。あんたはんに文句も言わんと、おとなしい。。
 てか。。 いや。。。おとなしいなんぞ、
 しとられますかいな!!>

とのお返事が返って参りました。(笑)

ということで、うちでは、これまでどおり、大いに笑うて
<寝ながらにして、腹筋自慢のアスリートお婆ちゃん>
かつ、
<お口のほうも、絶対、誰にも負けヘンお婆ちゃん!>を
目指して、日々精進することにいたしましょう(*^_^*)

それにしても、みなさんのおかげで、なんとか、
今日もこうして、無事に通院を終わらせることができて、
ほんまに、何よりでございました。(*^_^*)

No.111 我慢強いにも、ほどがあります。

<我慢強いにも、ほどがありますやろ!
 なんでもっと、早うに、言わはらへんの!>

救急車の到着を待つ間、そばで、しょざいなげに
もそもそと、寝間着のすそをひっぱっている母の
傍らで、思わず、大噴火。

というのも、母曰く、

昨日の真夜中あたりから、頭が痛うて、目も痛うて、
左目が真っ黒で何も見えへん。。吐き気もしてきて、
熱もあるみたいで。。。と

一大告白を受けたのは、あろうことか昼過ぎのこと。
なにやら、朝から元気がないとは思てましたが、
まさか、そんなこととは。。。

<すぐ、言うてくれんと、あきまへんやろ?
 なんで、非常ベル、夜中に鳴らさへんかったん?
 なんで、朝、そう言わへんかったん?>と私。

<そやかて。。。今日は、お寺さんがきゃはる日
 どっしゃろ。お寺さんが帰らはるまでは、そら、
 辛抱せんとあかんし。。。>って。

どこまで我慢強いことか。我慢強いにもほどがある!
いうもんですが、じつは母は鉄人のごとく、痛みに
めっぽう強いおひとでして、

まだ小学校の5年生の頃に、耳になんや、ばい菌が
入って化膿したことが原因で、今も右の耳は、全然
聞こえヘンのですけど、

そのときに、耳のなかを
<み~んなとってしまわんとアカン!>、そう
お医者さん言われて、大丸の近くの外科医院で

なんと、麻酔なしで、身体を縛りつけて、母の父である
うちのおじいちゃんをはじめ、大の男3人ほどに押さえ
つけられ<動いたらアカン!>と言われながら、耳の
うしろを切る、手術を受けたという武勇伝の持ち主で、

<あんときは、ほんまに痛おしたけど、あれに比べたら、
 たいていのことは、痛うない、我慢できますえ。>
と言い、

普段から、ふつうなら、痛うてたまらんような時でも、
平気な顔をして、<だいじょうぶ~>と言います。

が、しかし、本当に大丈夫なときには、ほれ、尋ねた時に、
<ぜんぜん、だいじょうぶ~!>と<ぜんぜん>が、前に
つくもんで(笑)

それがついてない、ただの<だいじょうぶ~>の時は、
<だいじょうぶでは、ないんやな。>とこちらにわかる、
という、えらい面倒くさいこと、このうえない、おひと
でして、

その母が、この日は、<だいじょうぶ、ない。>と言って
きたもんで、大急ぎで、119番通報と、なった次第でした。

そんなこんなで、救急車が来てくれはったものの、
この日は、あいにくの日曜日で、受け入れ先の病院が
まったく決まらない。

救急隊のひとが、無線で、あちこちと頼んでは、断られ、
頼んでは、断られ、40分ほど経ったときのこと、ようやく
うちから、かな~り遠く、山をひとつ越えたところにある、
救命救急センターに、受け入れてもらえることに。

さあ、それからが、また大変!

頭のことでもあり、119番通報から、すでにかなり
時間も経ってしまっていたので、救急隊のみなさんも
気が急いておられのか、発車するやいなや、

<さあ、これから、飛ばしますよ。
 しっかつかまっておいてくださいね。
 山道をくねくねと曲がって行きますから、気分も
 悪うなりますよ!!覚悟して、頑張ってください!>

と言うなり、信じがたい猛スピードで、
サイレンを鳴らして救急車が走り出し、その後部で、
まさに揺れに揺れながら、

母のストレッチャーを押え、吐き気を訴える母に
タオルをわたし、口をふき、上を向いたり、
下を向いたり、を繰り返しているうちに、

もともと、車酔いのする私は、救命救急センターへ
無事到着した際には、まさに子供の頃、遊園地で
コーヒーカップから降りたとたん、感じたような、
あの、グルグルめまいで、自分で立つことすらできず、
車椅子に乗せられ、

母の乗ったストレッチャーともども、救急入口から
搬入され、救命救急室のストレッチャーに、
母と並んで、寝かせられる始末に。

天井はぐるぐる回るは、吐き気はするわ、頭は痛いは。。
で、ハアハアと、ついには過呼吸にまでなってしまった
私を、お隣のストレッチャーから、じっ~~と見つめて
いた母と目が合ったとたん、なんと母は、<ニッコリ!>。

後に判明したところによると、そのとき、母は40度の熱と、
緑内障発作からくる、眼圧が、ナント90にまで上がって
いたのでした。

眼圧って、たいてい15から20やそこらのもんやと思て
いたのが、そんなに高いところまで、上がるもんやとは、
ただただビックリで、

さすがに、お医者さんも、信じられヘン様子で、何度も、
何度も測りなおしておられましたが、ともかく母は、
それほどに、<どえらくシンドイ>状況に、あったのでした。

そして、待つこと、数十分。

日曜のせいか、この日はまた、救命救急センターがとても
混んでいて、次々とストレッチャーが運ばれてくる気配を、
感じつつ、カーテンで仕切られた空間に、母と2人で寝て
待っていると、ようやく、白衣を着た、お医者さんらしき
ひとが、入ってこられました。

そして、2つ並んだストレッチャーを眺めて、なんだか
不思議そうな顔をされてから、

<これ、どっちが先や? どっちから診たらええんや!>

と、看護師さんのほうを向かれた、そのとき、です。

母が、即座に、ストレッチャーの上で、自分の左手をあげ、
私のほうを、<こっちから!>と、指さしたのでした。

私は、というと、ただのひどい車酔いで目が回ってただけ
にもかかわらず、恥ずかしながら白状すると
<もう、早う、誰か、なんとか楽にして!!>
と、ひたすらそれだけを思っていて、

先生が<どっちから>と、問われたときにも、まったく
反応できずにいたにもかかわらず、です。そのとき、

母というのは、いくつになっても、いろいろとこどもに
お世話になるようになったとしても、やっぱり、母は母
なんやなぁ~と、なんだかえらく感動したのでした。

日々、母のお世話をしていると、本音をいえば、
<もう、ええかげんに、しとうくりゃす!!!>
そう言いとうなるときが、しょっちゅうあります。(笑)

けど、そんなときには、、なんでかわからへんけど、
いつも、あの救命救急センターでの、あの場面が、
浮かんできます。

<こっちから、診てやって!>と、私のほうを指差した
ストレッチャーから出た、母の左手が、思い出されて、

すると、

<まぁ、こんなことぐらい、なんでもないか。。>と
それまでの怒りを忘れて、なんや我慢できてしまうのでした。

痛みには、う~んと弱い私ですが、ひょっとしたら、
<我慢強さ>のほうだけは、母からうけついでいるのかも、
しれません。(笑)

そういうたら、お母さん、ふたりで、ストレッチャー
の上で、お医者さんを待っているときのこと、

<アカン。。しんどい。。死にそう。。>そう言う私に、

<大丈夫どす!人間、死ぬまでは、死にまへん!>

そう言うて、ひとりで大笑いしてはりましたな。(*^ー^*)

No.110 あんたが、わたしに逆らうのは。。。

うちには、理学療法士さん、看護師さん、お医者さん、
といろんなひとが母のお世話に来てくれてはって、

また、それが皆、ええひとばっかりにあたって、
(母は、自分の日頃の行いがええさかいやと申して
 おりますが、それを言うなら、私の日頃の行い、
どっしゃろ!(*^ー^*))

それで、ついつい、お世話が終わったあと、
帰らはるときに、玄関先まで送っていったまま
30分とか、40分とか、お喋りを続けてしまい、
時間をとってしもて、皆さんには、毎回
多大なるご迷惑をおかけしてしまうのですが、

ついつい、楽しうていろいろとお話してしもて。。。

ところが、母にはこれがもう我慢できひんらしうて、

その日のメニューが終わったあと、介護ノートに
その日の訪問記録を書いてはる横で、私が皆さんに
ちょっとでも、話しかけようものなら、
<しっ!!!>と人差し指を口にあてて、
文字どおり、睨みつけられます。(笑)

<えっ?お話してもろてええんですよ~>と皆さんが
優しく言ってくださっても、

<あきまへん!!!喋ったら、あきまへんのや!!
 帰らはるのんが、遅うなりますやろ!!しっ!>

と最初は、口に人差し指を当てて、言っていたのが、
まだ私が話しかけたそうにしていると、今度は、

<しっ!!しっ!!>と手を外に払うそぶりで、
<あんたはあっち行きなはれ!!!>のお達しが。

いくらなんでも、ワンちゃんやないんやから、しっ!
いうジェスチャーは、やめとうくなはれ、
喋りませんさかい、そう言うてるんですけど、

今日も、訪問介護を終えて、そろそろお暇(いとま)
のそぶりを看護師さんが、見せはったときのこと、

<はよ!!はよ、行っとおくりゃす!!
 コレ(私のことです)にまた、つかまったら、
 えらいことでっせ!! 次行かはらんのに。。。
 ええ年になって、そんなことも、わかりませんのどす!
 情けないことどす。。ほんま。。。>と
今度は、嘆き節に。。

そんなふうに、あんまり、母がしっ!しっ!と
言うもんやから、皆さん、荷物を持って、
そうまで言わはるなら、ほなここで。。。と
帰って行かれるのですが、

母のベッドわきに立っている私に向かって、
<なんや、ここでお別れするいうのは、
 寂しいですね~>と、振り返り振り返り、
玄関へと向かわれるわけです。

ほら、見なはれ!!
少しぐらい、お話してもよろしいやないの?
寂しい、言うてくれてはりましたし。。。

と、いつもと違うて、喋り足りないせいで、
母にブツブツと文句を言い始めたときのこと、

電動ベッドに仰向きに寝て、白い天井を
じぃ~~と眺めていた母が、ひと言、
<あんたが、わたしに、逆らおうなどと、
 10年、早おす!!!>との、どえらいお言葉が。

あの、まだ、10年。。。の気でおいやすやなんて。。。
まったく知りませず。。。驚きを隠せません、母上。

つい、昨日、体重がまたちょっと増えてはったもんで、
大好物のおかきを控えるように、言うてましたとき、
<おかきも食べさしてもらえへんやなんて、
 もう、生きていとうない。。>って
そう言うてはりましたやおへんか。

また、石原都知事さんが、オリンピックを東京に
誘致してはる、言うニュースを一緒に見てたとき、
<次のオリンピックまで、おりますかいな!>
そう、言うてはりましたやおへんか。

あれは、またいつもの、口だけ、どしたんか。。。

そういうたら、ついこの前、なんのテレビ番組
やったやろか、介護のお話のときに、えらい先生が

<介護とは、ひとことで言うならば、
親が命がけで行う、最後の子育て、のことです。>

なんぞと、ドヤ顔で、のたまわれておりました。

それを聴いて、
あ~そういうことか、と納得いたしました。

お母さんは、ご自分が不肖な娘を世に出してしもた
さかいに、今になっても毎日、ああやこうやと難儀な
ことを言いながら、懸命に、私を育ててくださってる、
そういうことなんですね。なるほど。

ほんで、まだ、あと10年も育ててくれはるお気持ちや
そうで。。。

ほんに、おおきに、ありがとさんどす。(*^ー^*)

No.109 お金を持っては、いけしまへん!

母の部屋からいつものように、
テレビの通信販売に、につっこみをいれる声が。

<そんな、エエもんやったら、あんたはんが買いなはれ!>
<そんなすぐに、そんなヘンな色が、売り切れますかいな!>

なにやら夏物のスパッツを、毎日オススメされてる女性に
向かって、つっこみをいれてるようです。

すると、傍にいた父が、続いて、

<何や!なにを言うとるんや!欲しいもんがあったら、
 なんでも買うたら ええ!!
 あの世へは、お金持っては、行かれへんのやからな!!>

なにを隠そう、このフレーズ
<あの世へは、お金持っては、行かれへんのやから!>は、
父の得意文句で、なにかというとこのセリフが、登場します。

ちなみに、父は、いよいよというときには、自分の全財産を、
社会福祉のために、地元のどこぞ信頼できる団体へ寄付なさる
んや、そうです。

<それで、困ってるひとを助けてあげないかん!>と、そう
得意げにおっしゃいますけど、その前に、目の前にやはる、
<困ってる家族>を、助けたげなはれ!

それもまぁ、
寄付する、いうて、いったい何を、寄付するつもりなんやら。
うちのどこに、他人さんに寄付するようなもんがあるのやら。。
どうぞ、教えておくれやす。

そう言うたら、うちの家にも昔小さな坪庭に<お金のなる木>
いう木が植わっていたことが、ありました。

誰からやったか、<これはお金のなる木>やから、大事にせん
とあかん!と言われ、幼心に、この木がうちの庭ですくすくと
育ってくれているあいだは、お金がどんどこ、入ってくるような
そんな気がして、特に念入りに、水遣りなんぞをしていたもの
です。

それが、いつの頃からかあんまり庭のお世話もせえへんように
なってしもて、ある日ふと、その木のことを思い出したもんで、
母に、

<うちにお金のなる木、いうの、昔、ありましたやろ?
 あの木、なんや、いつのまにやらのうなってしまいましたな。
 誰ぞに、あげはったん?>

と尋ねてみると、
<そういうたら、お父さんが夜店でそんなもん買うてきゃはった
 こともありましたな~。
 とう~の昔に、枯れてしもたけど。。。>って。

なんや、あの、子供心に大事せんとあかん!そう思うて、
せっせと水遣りしていた、あの<お金のなる木>は、はぁ~
夜店で買うてきたもん、やったんどすか。。。

それもなんやショックやし、はたまた、そのお金のなる木が
と~~~うの昔に、枯れてしもてた、いうことも、ショックで、
う~~~ん。。と考えにふけっていたところ、

またしても、ちょっと信じがたいような執拗さでもって、父が

<おい!聞いとるのか!お金もっては、死ねへんのやから!!
 ワシらは、なんでも、買うたらええんや!
 お金、遺しといても、しゃ~~ないんやからな!>と、
こちらの顔をじっと見ながら、リフレイン。

遺しておいてもうても、じゃまになるもんやなし、私のほうは、
いっこ~~うにかましまへんけど(笑)なんや、あんまりそう
こちらを見ながら、夫婦で、そのフレーズを繰り返されたら、

なんやしらんけど、だんだん、気分悪うなってきたもんで、

<なんでも買わはったら、よろしいやないの。私は何にも、
 買わんとき、とか、いけず(意地悪)言うたり、してま
 へんやろ?>と言うと、そのとき、のこと、

母が、またおかしな反応を、してきたわけです。

<いけず。。言うたら、いけずごけ。。。
<いけず>やったさかいに、行けず後家。。。>と。

本人は、シャレのつもりかなんか、知りまへんけど、
この場合<行けず後家>いうのは、解説するのもナンですが
<お嫁にいけなかった、独身の女性>という意味です。

<お母さん、前から言うてまっしゃろ?!
 わたしは、<行けず後家>やのうて<行かず後家>どす。

つまり、<行けず>は、英語でいうたら、can、できる、
できひん、のcan、どす。つまり、行くことができない、

ほんで、私のいうてる、<行かず>はこれまた英語で
言うところの、will、したい、しとうない、のwillの
ほうどす。

女学校で、英語は得意やった、言うてはったし、わから
はりますやろ? Canとwillでは、大違い、なんどす!!

と、思いがけず、説明に力が入ってきていたところ、

チラッと、こちらを見ながら、

<どっちでも、よろしおすがな、そんなもん。
 ひとさんが見たら、どっちか、わからしまへんのやし。。。

 そないに言わはんにゃったら、<行かず>やいうて、
 あんたはん、ワッペンでも、貼っときなはれ。。>

との、実の親とは思えぬ、残酷なお言葉が。

いいえ、どっちなんかは、だいじなこと、どっせ!
人間、言葉、いうもんは、正確に、使わんことには。。。

と、食い下がってみたものの。。もうこのお話にはまったく
関心がなくなったようで、目の前の丹波焼き栗をむくのに
すっかり、夢中のありさまで。。。

これぞ、まさしく、<いけず>が寝間着着てるようなもん。。

と、ところで、なんの話でしたかいな。
そうそう、財産はみんなどこぞに寄付しゃはる、いう
お話どした。

そんなことばっかり、嬉しそうな顔して言うてはったら、
<お金のなる木>だけやのうて、お金のいらん家政婦さん、
すなわち、<家族>も、そのうちどっか行ってしもても
知りまへんえ。(*^_^*)

No.108 なんで、こんなとこに、こんなもんが。。。

なんでこんなとこに、こんなもんが。。。

<うそ。。。まさか。。。これ。。。
 ひょとして、ひょっとしたら、お漬物入れ?!>

洗面台の棚にいつも置かれている父の<入れ歯入れ>
の横に、見慣れた蓋つきの陶器の入れもの、が置いて
あるのですが、

それが、どう見ても、普段、食卓で使っている、
<お漬物入れ>に見えるんです。まさかと思いつつ、

晩ごはんの席で、おそるおそる、尋ねてみることに。

<あの、洗面所に、お漬物入れが、
 置いてありますんやけど。。。>

<へっ? へぇ、そうどっせ。ほんで?
 お父さんの、入れ歯入れて、置いてあるんどす。>
と、母。

入れ、入れ歯って。。。
アレは、清水焼の陶器で蓋付きの、粋な和の器で、
いつも、お漬物を入れて、食卓に出していたものや
おへんか。

<なんで? 
 なんで、あれに、入れ歯、入れはりましたん??>

<なんでて。。。
 新しい入れ歯がでけてきたさかいに、入れ歯入れが、
 もひとつ、いるようになったさかい、どす。
 あれやったら、蓋もついてるし、よろしやないの。>

よろしやないの。。って、
ちっとも、よろしいことおへん!!
よりによって、なんで、アレに。。。

もう! なんか困ったことがでけたら、私に言うて!
って、いつも、言うてましたのに。。
二人で考えて何かしゃはっても、いつもろくなことに
ならしませんやろ? 
あ~、ほんまにもう、上等の器やったのに。。

と、母に向かって、怒っていると、

<なんや!! ご飯のときに、
 お前らは、何をまた、大きな声で言うとるんや!!
 めしが<よけい>まずうなるやないか!>

あの。。その、<よけい>って、どういうことどす?!
と、一瞬、ムッとしたものの、

とりあえず今、その疑問は横においといて、
母としていた話を再度父に、話してみると、

<なんや。。
 お前がくれた、アレ、お漬物入れ、やったんか。
 そら、ワシは、知らなんだ。。へ~>って。

いっつも、そこから、ホイホイとお漬物出して、
食べてはりましたやないの!!
昨日の晩かて柚子大根、食べてはりましたやおへんか。
知らなんだって。。。また、そんなアホなことを。

ともかく、新しい入れ歯入れがいるんやったら、
そういうこともあると思うて、余分に歯医者さんで
買うてきてあるんやさかい、私に言うてくれはったら、
すぐ、出しましたのに、と言うと、

<ほな、最初から、それを出さんかい!>と逆ギレ。

<そやから、最初から、私に、言わんかい!!>と
喉まで出た言葉を、ぐっと飲み込みつつ、

ご飯の後片付けを終えた後、新しくおいでになった入れ歯
はんに<正真正銘>の入れ歯入れへとお引越ししてもろて
ましたら

そばで、じっ~~と、それを眺めていた母が、またしても、

<それ両方とも、おんなじ、入れ歯いれ、どっしゃろ?
 ほな、お父さん、ぜったいに、間違わはりまっせ!!
 どっちがどっちかわからんようになってしまはる。。
 やっぱり、先のお漬物入れのほうがええんやおへんか?>

<なんやて!そら、えらいこっちゃ!!
 間違うたら、どないもこないもならん!なんとかせえ!>
と父。

あ~~~もう、面倒くさい人らどすなぁ、ほんまに。

ということで、<ホンマもん>の入れ歯入れのほうに、
大きな赤い字で、新、と書いた紙を、これまた、

<水で濡れたらどうすんのや!>と、のたまわれるもんで
わざわざラミネート加工にして、貼り付け、やっとこさ、
一件落着。

と相成ったのですが、このお漬物入れ、実は、色違いの
ペアの頂き物でして、もったいないことではありますが、
やっぱり一度入れ歯を入れたものをまた、お漬物入れに
もどす、いうのはなんやこう、けったいな気がしますし、
それは捨てさしてもろて、

もひとつの色違いの器に、以来、お漬物を入れて食卓に
出してはいたのですが。。。

生来、繊細な(?)性分の私のこと、食卓にあるその器を
見ると、色違いではありながら、どうしても、あの日、
入れ歯をいれた、あの残像が思い浮かび、あれ以来どうも
お漬物に対して食欲がわかへんようになってしもたんです。

生まれてこのかた、食事の最後は必ずお漬物で締めてきた
私にとっては、この<入れ歯PTSD>は、一大事です。
なんやうらめしいなって、つい母にひと言、言いとうなり、

<なんや、あれから、あの器みると、入れ歯のこと思い出
 してしもうて、お漬物食べる気がせえへんのどす。>

と愚痴ってみたところ、

こちらをチラ見したなり、フン!と鼻で嗤ったあと、

<ほれ、みとうみ!!
 そやから、アノ入れもんは、私がしといたように、
 <入れ歯入れ>にしといたら、そいでよかったんどす!
 それをあんたがいらんこと。。>
 
いや、そうやのうて。。。と言いかけて、ふと見ると、

私のお気に入りの、ブランドのハンドタオルで、
シコシコと、食卓を、拭いてはります。

なっ、なっ、なんですの、お母さん!! またしても、
なんで、こんなとこに、こんなもんが!!!

あ~~、もうよろしおすわ。(*^_^*)

No.107 お塩とお猪口をめぐるあれこれ

<ちょっと、ちょっと、何を食べてはりますのん!?>
  
<何をて。。。見たらわかりますやろ。
 塩こんぶ、どす。>

塩こんぶ。。。うそ。。

<あんたはんも、食べたおすか?あげまひょか?>

と笑顔で袋を差し出す母。

ぎょうさん薬を飲むのはかなん、そう言わはったさかい 
高血圧がちょっとでもましになるように、毎日毎日、
食事に入れる塩分を計って、ちょっとでもお塩が多めに
ならへんように、細心の注意をしてますのに。。

塩こんぶ。。。とはいったい、どういうこってす?
お母さん、あんたはんが言わはったことですやろ? 
塩分の摂り過ぎは、体にようない、って。
なんや、ためしてガッテンやったか、コワイ話やったか、
忘れましたけど、テレビでやってはったいうて、

それで、ご飯作るときに、気つけておくれやす、
そう言わはったさかい、こうして、毎日、スプーンで
一日に使うお塩、計ってますんやおへんか。

そのうえ、うちは、お醤油も、わざわざ、香川県まで
減塩醤油ゆうの、取り寄せしてますやろ?
それも、ひとえに、お塩のとりすぎをちょっとでも
減らそういう努力やおへんか。

そうやって、面倒くさいことまでして、せっせと
塩分に気をつけてましたのに、あろうことか、
こっそり、塩こんぶ、ほうばったはるやなんて。。
情けのうて、あきれて、ものも言えまへん。

とにかく、塩こんぶは、あきまへん!!! 絶対!
  
<ちょっとぐらいやったら、よろしいやろ!!>

そういうて、まだポリポリと袋のなかをまさぐって
いる母の手から塩こんぶの袋をひったくるやいなや、
母から、衝撃のひと言が。

<もうよろし!
 そのかわり、豆ご飯も、作らしませんやろな!>

って。。豆ご飯は、何を隠そう、私の大好物で、
毎日でも 食べたいくらいのもの。

<豆ご飯には、たんと(沢山)お塩が入ってますやろ?
 ほな、あれもあきまへんやろ!
 もう豆ご飯は、やめまひょな!>

って。なんでそうくるのか。。
ほとほと、意地の悪いおひとやなぁ。。  と、

そんなやり取りをしている母の両手に、

いつそばへ来たのか、
父がなにやら、大きなソラマメみたいな
機械につながった、蝶々の形をしたパッチをふたつ、
ペタッとひっつけて、なにやらその、大きなそら豆
をいじっています。

<お父さん、なんどすの?これ、どうしますの?>
<うるさい!黙っとれ!じっとしてたらええのや!>
勝手に、取るな!! 今、始めるンやさかい。。>
 
いいながら、また大きなそら豆をいじり続けていると、

<あ~、ピリピリ、ピリピリ、
 なんどすの、これ??>と母。

聞けば、今日行ってきた電子機器の株主総会で配られた
ものらしく、所謂、低周波治療器のちっちゃい版、
みたいなもんやそうで、体に低周波を流して、
肩こりが治るとか、治らんとか。。

どんなもんなんか、試してみたいのなら、自分の手に
ひっつけてやってみればいいものを、なんで、もともと
不整脈の母の手にわざわざひっつけんならんのかと、
尋ねたところ、

<おかしなもんやったら、困るさかいや。。>との
驚くべき、お返事。

どこまで、気の小さい。。。
と考えたところで、思い出しました。

先日、テレビで紹介されていたのですが、
最近出版された本のなかに、
<お猪口(おちょこ)君>とか<お猪口さん>たらいう
漫画があるそうで、お猪口君というのは、何かというと

そう、誰もが知る、あの、日本酒をいただくときに、
徳利の横についてくる、あの、小さい器の、入れものの
ことです。

そこから派生して、<器の小さい男はん>のことを、
言うんやそうです。

まさに、ピッタリ!!!
とそれを聞いて、その日から、父の隠れた呼び名は
<お猪口はん>に決定!!!

これまでは、そういう事態に直面するたびに、
父の後ろ姿に向かって、こっそり母と二人して、

<ほんまに、小さい男!!>

と聞こえないように(笑)
毒づいていたのですが、その日を境にして、

<あ~あ、また、お猪口はんは、しゃ~ないな~!!>
と言うことに、相成りました。

これなら、万が一、本人の耳に入ったとしても、
いったい何のことやらわからしませんさかい、
ちょうどよろしおす。(*^_^*)

No.106 <生きていればこそ>

なにを隠そう、
母は、歌手、徳永英明さんの、大ファンなのであります。

とくにお気に入りなのが、<壊れかけのRADIO>。
この曲が流れてくると、あの、お喋りさんが、ひと言も発さず、
ただただ<ほんまに、よろしおすな~>と、聴き入っています。

その徳永英明さん、以前から<カバーアルバム>たらいう、
いまどきの女性歌手の歌ばかりを、歌ってはった、
母曰く<ひとのお歌で、儲かってはる>路線から、
(徳永さん、スミマセン!!)

最近、なぜだか<昭和歌謡>へと路線変更されたらしく、

先日は、藤圭子さん、この前は、中村晃子さん、
そして、今日は、弘田三枝子さん、たらいう、昔懐かしの
歌を歌っておられるわけなのですが、

本日、夜寝る前に、毎日恒例になっている母の足のお世話に
せっせと精出さしてもろてましたところ、その、例の、
弘田三枝子さんの歌おてはった<人形の家>たらいう歌が、
テレビから流れてきました。

なんと、出だしから衝撃的な歌詞で、

<顔も~~、見たくないほど~、あなた~に
 嫌われた~わたし~>

というお歌やそうな。
せっかくなので、母のおみ足に軟膏を塗りながら、
替え歌にして、歌ってみました。

<顔も~~、見たくないほど~、あなた~に
 嫌われた~い、わ~た~し~>

と、

<へっ??! なんどすて??
 嫌われたい? 嫌われたい、て、誰にどす??>

誰にどす。。て。。。そら、あんたはんに、どす(笑)

<もう、あんたの顔も見とうあらへん!
 あっちいって、シッシッ!!!>

そう、母君に言ってもらえたなら、

こうしてずっと、2年半もの年月、毎日朝晩、
軟膏を足にスリスリ、5つもできてはるタコの上に
スピール膏をハリハリ、絆創膏をマキマキ、
せんでも、ええんどす。

さらにはですね、毎日毎日、よ~~う、あきひんなぁ~
と思う、同じこの小言というか、嫌味というか、

<何をグズグズしてはりますの!
 あんたはんは、ほんまに不器用だすな。。。>

<いつ見ても、小学校のときから、ちっとも変わらへん、
 同じ顔だすな。。ほんで、道でよう声かけられますね!
 そんなひと、まぁ、やはりませんで。。>

<なにをさしても、どっか、ぬけてはりますな~
 ここぞ、いうときに、ぬけてはりますんやわ。。>

<やっぱあれどすな、最初の子、いうのは、失敗どすな。。>

なんぞと、言われんでもええんやさかい。

そんなこと思い出してるうちに、ついポロっと、

<ほんまに、腹立つわ!!>

と小声で、言うてしもたところ、

こういうときだけ、補聴器なしでも、なんでかちゃんと
聴こえてはるらしいて、

<腹立つのんは、こっちどす!!>と、ベッドのほうから
律儀に、御返事が、かえってきました。

あ~、そうどすか、そうどすか。

テレビを見ながら、そんなことを言いおうてましたら、
今度は、突然、ドシドシ!と廊下のほうで地鳴りがし、
ジコチューファーザーが母の部屋の戸を開けるなり、大声で

<こんな夜、遅うに、大きな声で、なにを歌、聴いとるんや!
 今、何時やと思とるんや、お前らは!!
 テレビがうるそうて、寝られへんやないか!!!

 昨日も朝の3時から、寝られへんのやぞ!!
 ほんまに、腹立つやっちゃ!!
 なに考えて生きとるんや、お前らは!!>と

一気に、怒鳴りまくって、戸も閉めんと、退散。

その背中越しに、言わんでもええのに、また母が、
電動ベッドから、顔だけ、乗り出すようにしながら、

<お父さん、お父さん!! 弘田三枝子さんの歌どっせ!
 ほれ、昔の! ありましたやろ、ほれ! 人形の。。
 顔も~~、見たくな~いほど~~、いう、歌どすえ!>

<ミエコか、エミコか、そんなやつ、知らん!!
 はよ、消して寝んか!!! 
 お前の顔なんか、誰が、見たい? 見とうないワ!>

あの、お言葉ではありますが、父上、

ただ今、午後8時にございまする。
それに、毎晩午後7時すぎにお休みにならはるんやさかい、
朝の3時でも、十分、寝ておいででございます。

はぁ~~~~~~~~~~~。

こうして、毎日毎日、
あっちで責められ、こっちで腹立ち、
あちらで怒鳴られ、こちらでむかつき、

正直、どいつもこいつも、ほんまに。。
いったいこの毎日、なんなんどす!!!?
もう、やってられしまへん!!

と、誰にともなく、愚痴をこぼしていた、

そんなときです。
先日、逝去された映画監督、新藤兼人さんの遺された
最後の言葉、を聞いたのは。

<生きていればこそ>

という、8文字、だそうです。

たった8文字のこの言葉が、
とてつもなく、胸に響きました。

こんなもう、うんざりするような毎日、

怒ったり、あきれたり、
顔も見とうない!、そう思うたり、言われたり、

<なにまた勝手なこと、言うて!>とむかついたり、
<もうたくさん!>そう言うて、投げ出しとうなったり、
そして、ひとり、あとで、がっくり落ち込んだり。。。

そんな毎日も、そんな一瞬、一瞬も、
あたりまえのことやけれど、

それはみんな、こうして
自分もそして、相手さんも、お互いに

<生きていればこそ>のこと。

そう、思うたら、不思議に

日々のご立腹な出来事の数々も、
信じられへんような、発言や行動のひとつひとつも

<あ~もう、しゃ~ないなぁ~、ほんまに。>

そう思って、やりすごせる、気がしてきました。

<生きていればこそ>

たったの、8文字やけれど、
ほんまに、重い、そして、温かい8文字やと、思います。

ほんまにそう、<生きていればこそ>のこと、です。

そんなことをしみじみ想いながら、

<なぁ、お母さん、こんなこと言うてケンカしてんのも
 今日も無事におられたさかいやね。感謝せんとね!>

母に向かって、声をかけてみましたが、

<へっ?! なんどすて? そら、そうどす!
生きてればこそ、美味しいもんが食べられんどす!

 生きてるうちに、美味しいもんを、食べとかんと
 あかんのす! あ~、美味しいもん、食べとおす。。>

って。。さっき、晩ごはん食べてはりましたやろ?

このひとだけは、なんていうても、
ほん~~~~~まに、腹の立つお人どす!(*^_^*)

No.105 <恕のひと 孔子>をめぐるあれこれ。。

最近、<恕のひと、孔子伝>というBSで放送している
中国のドラマにえらくハマッている母。

夕食後の足のお世話をしながら、ふとドラマの
画面に目をやると、そこには、なんと、あの、
俳優、石田壱成さんの姿が!

えっ!でもこれ、中国のドラマやし、
まさか、石田壱成さんが出演してるわけあらへん。。
そう思いながら、数日このドラマを見ていたのですが、
どこをどう見ても、やはり、<そのひと>は、
あの、石田壱成さん、なのです。

それで、毎日欠かさずこのドラマを見ている母に、
<あれ、ほれ、あのひと、石田壱成さんやない?>

とお尋ねしたみたところ、せっかくお気に入りのドラマを
気分よく見ていたのに、邪魔が入った。。。といかにも
ムズの顔で、眉にシワを寄せてひとこと、

<あのな、世界にはな、自分によう似たひと、いうのが、
 誰にでも、三人、やはるんどす! 聞いたことおへんか?
 それに、なんで中国のひとのなかに、石田壱成はんが、
 混じってはるんやな、アホなこと言うんやありまへん!>

とキッパリ!!否定されたもんで、

<そやけど、よ~~う似てはりますえ。。。>と

いまいち納得できないものの、まぁでも、
そういう似たひというのもおられるのかなぁ。と
その後も<孔子伝>を見続けていましたが、

どう見ても、やはり、<ガンカイ>とかいう、孔子のそばに
いつも付き添い、なにやらメモを取っている、弟子の姿は
どこをどう見ても、石田壱成さん。。おかしいなぁ。。

と、思いきや、

ある日、足のお世話がいつもより遅うなってしもうて、
母の部屋を訪れたのが、<孔子伝>が終わって、最後に
出演者のテロップが流れているところでした。

<あ~、孔子、終わってしもたんどすな。。>と、何気なく、
画面に目をやったところ、なんと、なんと、

出演者<ガンカイ>さんの隣には、はっきりと日本語で
<石田壱成>の名前が!

<お母さん、やっぱり、石田壱成さん、どすがな!!!
 なんどすの、世界には三人、そっくりな人間がいるもんや、
 とか、言うてはったでしょう? 違いますやん、本人どっせ!
 そら、似てるはずですわ~~~!!。>

と、母に向かって、思いっきり訴えてみたところ、

<へっ。。壱成さん、どすてか?
 なんで、ほな、中国になんぞ、やはりますの?>

知りませんがな!
(あとで調べてみたところでは、日本でお仕事がなくなった時期が
 あって、中国のドラマの一般のオーデションを受けて、受かって
 役をもらわれたそうです。中国語のセリフもたくさんありましたが、
 とても大切な役どころを見事にこなしておられました。)

それよりなにより、知りもせんことを、知ったふうにまた言わはって、
なにが、<誰でも、世界に三人のそっくりさん>どす。。あ~あ。。

<ほな、なにか、吹き替えも、石田壱成はんいうことどすか?>

そら、そうですやろ!自分のセリフなんやし、いちばんようわかって
はりますやろ。。

とにかく、思いつきで平気でウソいうのを、やめておくなはれ!
というか、間違うたこと言うたら、相手が子供といえども、
ゴメン、言うて、謝っとくなはれ!!

ほんまに、昔からずっとそうどしたけど、お母さんの話いうんは、
うかつに信じて、ひとにでも言うたら、えらいことになります。
小学校の頃、それで、2,3度、エライ目に遭うたことを、また
思い出しました。

それにしても。。

こんな、孔子みたいな、ひとが出はった国やのに、
なんで、こう、ダンボール肉まん、とか作って売ったり
しゃはるんやろうね。。。

ふと、素朴な疑問がわいたので、口にしてみたところ、

<ほんまに、アホやな、あんたは。
 孔子はんが、教えとかはったさかい、あれですんでるんどす。
 やはらへんかったら、もっと、えらいことになっとるとこ
 どす。。>

また、えらいこと言わはって。
中国のひとが聞かはったら、ほんまに怒らはりますえ!(笑)

とそんなやりとりがあった後、しばらくして、今度は、
日本のバラエティ番組に、家族として、石田純一さんと
ご子息の石田壱成さんが、並んで出演されているのを
またまた母の足のお世話をしている際に、目にしたの
ですが、

その際に、壱成さんが、とても優しく、お父さま、
純一さんのことをフォローしておられる様子が、テレビで
流れ、

それを見ていた母が、画面を指差しながら、

<ほれ!ほれ!見とうみやす!!壱成はんどす!
 お父さんに、優しいこと、言うてあげてはりますやろ?
 やっぱり、恕のひと、孔子から教えを受けたひとは、違いますな~>

と、関心しきり。。そんなアホな。。それに、

あんたはん、世界に三人やはる、そっくりさんやって、
そう、言うてはりましたやないの。
ほんまに、エエかげんな、おひとどす。(笑)

No.104 お祭りの行列に欠かせないのは。。

<おい!!買うてきたぞ!!ほれ!!見ろ!
 尿漏れパンツ!!!>

と、食事の支度で忙しい私の目の前に、父が
白いブリーフらしきものを、揺ら揺らとふりかざし、
満面の笑み。

もう、よろしいし、ひっこめとくなはれ。。
いくら使用前のものとはいえ。。もう、見ましたさかい。。

あ~もう、どうして、父が、このように、尿漏れパンツを
差し出しているかといいますと。。。

実は、齢82歳にして、このたび、父は、地域のお祭りの
行列に、袴姿で参加することになったから、なのです。

行列といっても、こ1時間ほど、
近所をお囃子のあとをついて歩くだけではあるのですが、
さすがに齢が齢だけに、

大丈夫やろか。。。しんどうなって、皆さんに迷惑かけたり
せえへんやろか。。という家族の心配をよそに、本人は、

<えっ?行列?!! 構しまへん!!
 なんぼでも、歩かしてもらいます!>

とまたしても、いつもの外面の良さを発揮して、
二つ返事でOKを。

なんとか、辞退してはもらえへんやろかと。。と、
いろいろ考えた結果、ええかっこしいの父だけに、

<お父さん、もし歩いてる途中で、トイレに行きとうなったら
 どないします?困りますえ~。
 まさかよそのお家で。。。おトイレ、借りられしまへんやろ?>

と、言ってみたのが昨夜のこと、その結果、

さっそく、高島屋まで出かけて行って、
あの、上等の<尿漏れパンツ>の購入とあいなったのでした。

すると、先ほどからの、このやりとりを、

食卓の低位置について、父が差し出している、そのすこぶる
上等の<おNEWの尿漏れパンツ>を、じっ~~~と見つめて、
なにやら考えている様子だった母が、突然、

<お父さん!!あきまへん!!!それでは、あきまへんえ!!
 それは、ちょびっとだけ、出てしもうたときのためのもんどす!!
 そうやのうて、ほれ、3回分とか、4回分とか大丈夫、いう、
 そういうオムツでないと、 役には立たしまへん!!!

 ほれ、あんた!!(私のことです)
 私のオムツ、ほれ、パンツになってるの、ありまっしゃろ?
 あれを、持ってきとうくなはれ!!早うに!>と。

お母さんの、オムツ???!

うちの母はちょっと、からだが変形していて、
そのために、一般のものではからだとの間に隙間が
できてしまうために、たしかに、寝たきりになった頃から、
そらもう、オムツといわず、パットといわず、
ありとあらゆるメーカーのものを試していて、そのため
うちには、ぎょう~~さんのオムツがあるのですが、そのなかから

パンツ型のオムツを父に、オススメ、している、らしいのです。

いつもは、お下に関する話には、軽蔑のまなざしを向けるのみの
父ですが、このときは、自分の行列参加がかかっているとあって、

<何?!なんか、ええもんを持っとるんか!
 何回でも、できるんか?!
 なんでほんなら、さっさと出さんのや!!
 早う、持ってこい!! パー子!>

ちなみに、パー子、というのは、母を呼ぶときの
父の数あるレパートリーのうちのひとつで、
<気がきかへん!>と怒ってるときの呼び方です。

ということで、母の命に従い、押入れから、ライフリーだったか、
どっかだったかのパンツ型のオムツ、M、というのを取り出し、
ひとつを父に手渡して、食事の支度にもどったわけですが。。

その後、試着タイムを経て、これなら数回はもよおしても大丈夫!
という母の太鼓判の声に押されて、父は、せっかく買ってきた
高島屋の上等な、尿漏れパンツから、パンツ型オムツ派へと
いともあっさり、転向したのでした。

これで、トイレの心配がなくなった父は、お祭り当日の昨日も
えらい上機嫌で、ほいほいと、袴姿で、行列に参加するために
出かけていきました。

その後姿を、家の中から、満足げに見送っていた母がひとこと、

<やっぱり、あんた、
 オーケストラと行列には、オムツは欠かせませんな~>と、
しみじみ。

えっ??!なんで、オーケストラも??!
お母さん、また、ええ加減なことを言わはってからに(笑)

No.103 さかさまに言うたらええんどす!

<お父さん、お父さん、もうちょっと待っといやす!
 雨、あがりまっせ!ほれ、しぐれになってきてますやろ?
 単車で行かはっても、ちょっとだけしか、濡れまへんえ!
 雨あがってから、単車で、な、そう、おしやす!待ってまひょ!>

と、母が、歩行器から身を乗り出すようにして、中庭に立って
雨模様の空を眺めている父に、声をかけているのを見て、

おかしいなぁ。。。なんでやろ。。。
雨の日には、道がすべりやすいさかい、バイク(単車)は、危険、
そういうて、なんとか<歩き>で、フィットネスへ行くように
あれこれと理由をつけては、いつも父を説得しようと試みてますのに、
なんで、また???!

とテーブルを片付けながら、不思議に思って見ていたところ、

<うるさいなぁ!!お前はいちいちうるさい!!!
 ワシは、歩いていく!!!ちょっとでも濡れとうない!!>

と傘をひっつかんで、父が玄関から出陣。

したと、見るやいなや、こちらをふりむいて、母が、
満面の笑顔で、Vサイン!

<ほれ、見とうみ! 歩いて、行かはりましたえ!

 ひというもんは、みんなおおかた、天邪鬼(あまのじゃく)
 なもんやさかい、ああせい、て、ひとから言われたら、反対の
 ほうを、わざとしとうなるもんやさかいな。

 ほんで、単車で行ったら!単車がよろし!そう、言うてたんどす。

 案の定、歩いて行かはりましたやろ? こんでもう一日安心どす。
 なんでも、してほしいときは、反対のこと言うと、よろしおす。>

そう言うと、スタスタと、歩行器で、韓流ドラマを見に、
お部屋へ退散。

なるほど。これは、母のほうの作戦勝ちやなぁ~と
ちょっと感心。

その日のお昼前のことです。

<いや~、美味しそうどすなぁ~>

そんな母の声がしたので、
またなんぞこっそり食べてはるんやないかと、
声のする、お部屋へ見にいったところ

最近話題の、京都水族館の大水槽の映像がテレビに登場、
高さ10メートルもあるかという、大きな青い水槽のなかに、
ぎょうさんの魚が、泳いでいるのが、映っていました。

水族館の魚を見た感想で、<美味しそう>というのも
ちょっとどうかと思いつつも(笑)

来たついでにと、<おやつを食べないこと!>シールを
母の部屋のドアの目につくところに、貼り付けていたところ、
<そんなもん、貼らんといて!恥ずかしおす。>との猛抗議が。

いえいえ、そういうわけには、いかしませんえ。
前日のシャワー浴のあとの定例体重測定で、ちょっとでも
軽うなるさかい、そう言うて、一糸まとわぬお姿で体重計に
のらはったのにもかかわらず、

残念なことに、お母さんは
1キロも、体重が増えてはったんやさかい。

前にも、このシールを貼ったときに、看護師さんから、

<ずっと家にやはって、どっこも出かけんと、
 毎日ずっと寝てはるだけなんやさかい、
 食べるもんぐらい、どうか好きなモンを食べさして
 あげてください。私からもお願いします。>

と嘆願してもらう、という巧妙な策を考えつかれ、
まるで、私が<意地悪ばあさん>かのように
頼まれたりされましたけど、そんなもんは
悪いけど、通用しまへんえ。

<こうして、うるそう言うてますのも、

 体重がかかることで、お母さんの膝が痛うならんように、
 また歩けへんようにならんように、との、親心ならぬ、
 こども心、からのもんです。言うてる、私のほうも
 ほんまに、かわいそうで、辛うて、辛うて。。。>

と、看護師さんには、お答えしておきました。(笑)

で、PCでわざわざこしらえた、
我が家オリジナルの<Don’t eat おやつ>シールを
せっせと貼り付けていたそのとき、

ふと、朝、母が、父に講じた<さかさま作戦>の
ことが頭に浮かびました。ほんで、

よしっ!と、ばかりに、

一口大に切りわけた水羊羹の入ったお鉢ををじっ~~~と
眺めている母に、

<お母さん、ちょっとぐらいやったら体重、増えしません!
 欲しいんやったら、食べなはれ!!食べとかんと悔しいて
 寝られまへんえ!羊羹のひとつやふたつで、増えませんて!
 食べなはれ!食べなはれ!>

とニッコリ笑って、声をかけてみたところ、

<ふむ。。。
 そやな、そこまで言うてもうて、食べへんいうのも、
 なんどすな。。。ほな、いただきます!>

とひょいっと、一口サイズの羊羹を2つ、3つ、
目にもとまらぬ早業で口にほうりこんで、しまいました。

えっ~~? うそ? なんで??
こうせい、言われたら、反対にしとうなるもんやて、
そう、言うてはりましたやないの。
さかさま、言うたらええんやって。。。なんで、食べるん?!

と、あわてて母に猛抗議したところ、

美味しそうに、羊羹をほおばりながら、

<そらあんた、それは天邪鬼なひと、だけ、どす。
 私はなんでも、素直にとることにしてますのんや。
 人間、素直なんが、いちばん、どす。>とのお返事。

もう、よろし、来週の体重測定、知りまへんえ!(*^_^*)

No.102 インフルエンザをめぐる騒動

<お父さん、お父さん、えらいこってす!!
 ほれ、見とうみやす!! みんな今日まで、どっせ!!>

と、母が指差している、お惣菜のパックの、文字通り、山。

これはみんな、父が郊外の巨大スーパーへ行って
仕入れてきた、おかず、なのです。

実は、先週から、私がB型インフルエンザなるものに
かかってしまい、家族との接触ができなくなってしまったのです。

両親ともに、以前肺炎を患っているため、そして母にいたっては
お医者さんへ歩いていけへんので、絶対にうつすことはならん!!

といって、家事一切から、遠ざけられたのでした。

といっても、日頃はみな私がやっているので、心配のあまり
寝ているわけにもいかず、境目のドアをこっそり細めに開けては、
母の動向をうかがっているのですが、

心配は、見事に的中!!
歩行器を片手に携えて、あっちへこっちへと移動しながら、
食器を出そうとしたり、野菜を出そうとしたり、してはいるのですが、

なにせ、両手でものを持って歩く、ということがバランスがとれずに
できないために、危ないこと、危ないこと、

またたくまに、台所から食事のテーブルまで、野菜やら
なんかようわからん容器のキャップやら、お箸やら。。
いろんなもんが床に散乱しだし、コップまでゴン!と落ちる音がして、

さすがに、マスクをして出ていこうとすると、

<何しといやすの!!!こっちへ来たらいけまへん!!!
 おとうさん、ほれ、こっちへ来ますえ!!!! はよ、マスクして!!
 離れんと!!>

と、まるでばい菌扱いで、わたしから視線をそらさはりますけど、
見たさかい、いうて、うつるもんやないと思いますえ(笑)

それでも、夫婦いうのは、なんというか、こう
<特別編成チーム>みたいな、もんなんやなぁ。。。と
あらためて思うたんは、

日頃は、もう、アホ、ブス、トロイやつ云々、罵詈雑言の限りを尽くして
罵られ、またこちらも負けじと、小さい男!などと背中に向かって冷ややかに
言い放ったりしているふたりですが、

いざ、自分たちの食べモンが、危ういと、思いきや、
突如、タッグを組んで、この食糧危機にあたろうとするもんなんですね。

二人で、お惣菜パックの山をひとつひとつ、吟味しながら、

<お父さん、よ~~う、見とくりゃっしゃ!!
 おかずによっては、なかには、明日、いうのもあるはずどす!!!
 炊いたん、とか、ありまっしゃろ! あれなら、明日までいけますさかい>

<よ~う、言うても、どこに書いたあんのや、全然わからん!!!
 どこ見たらええんや!!! なんでそないに大事なことやったら
 もっと大きな字で書いとかへんのや!!!>

と、スーパーでお惣菜パックを買うなんていうのは、
人生でそうしたことない父は、ブツブツ言うてウルサイだけで
いつものことながら、ほとんど戦力にはならず。。

<あっ!これ、いけます!!お父さん、ありましたえ!!!
 これ、明日の晩まで、置いとけまっせ!!!
 こんだけあったら、明日も、よろしわ!!>

と、ほぼ母がひとりで、選別作業を終え、
市役所で父が、山盛りもらってきた
(置いてあるからと、全部持って帰ってきた)
メモ用紙に、<あしたのぶん>とマジックで大きく書いたものを
ぺタッと、お惣菜パックの小さい山のてっぺんにはりつけて

抱えたまま冷蔵庫まで、えっちらおっちら、歩く、というよりは、
冷蔵庫に向かって突進していった。。。ように見えたもんで、

まぁ、これで明日までは、おかずは一安心、そう思って
そおっと、離れようとしたところ、母の声が、聞こえてきました。

<そやけど、ほんまによう、インフルエンザにかかる子どすな。
 一昨年もたしかかかってましたやろ。。なんでどっしゃろ、ほんまに。。
 小さいとき、ポポンSも飲ましたし、じょうぶになるはずやのに。>

すると父が、

<お前は、アホか! そんなこと決まっとるやろ! 
 アイツには、気合、いうもんが足りんのや!!! というか、
 ないんや!!そやさかい、ばい菌にまでつけこまれるんや!
 ほんまに、情けないやっちゃ。。お前の教育がわるいさかい。

 わしのジムで、運動してはるおんなのひとは、みんな
 もっとスラッと痩せてて、元気で、ほんで、綺麗で若い!!!!
 そういうひとは、かからへんのや!>

私もそら、20代の頃には、ダンスもしておりましたし、
痩せてもおりましたし、綺麗かどうかは別にしても、元気どした。
そやけど、この年で、エアロビクス教室の若いお姉さんらと
比べられても(笑)

というか、ポポンSって、そんな強力なもんやったんやろか。。
たしかに子供の頃、毎日、黄色い種みたいなモンを食べさせられて
ましたけど。。。

それに、インフルエンザに気合て、関係あるんやろか。。

まぁ、とにかく、はよう完治せんことには、
この様子では、いつ、山盛りお惣菜パックを抱えた母が、
台所で、ポテチンとコケるやもしれません。

ひとりで、なんでもかんでもうちのことをやっていると、
ほんまに、こういうとき、困りますなぁ。

介護だけやあらしませんけど、ほんまに、<健康がいちばん!>
そう、思います、トホホ。。(*^_^*)